夏の日、きみはきっと遠くで眠る  第四稿





 開演前の三十分間。舞台下手奥に終演まで置きっぱなしにされている机があり、コータローがその席について原稿用紙に向かっている。ライトスタンドのもとで、なかなか進まないのに苛立っている。書いては破り捨て、丸めて放り投げ、そのうち机のうえの整理整頓をはじめる。古い写真を見つける。しばらく見つめている。ひらめいたように、原稿用紙に文章を書きつけ始める。しかしもう夜も遅いので、半分眠り始めて、すこしずつ舟を漕ぎはじめる。客電が落ちるタイミングに合わせて、コータローは机の上に眠り込んでしまう。ライトスタンド、フェードアウト。
 
  *

 銃声が数発、暗闇を駆け抜ける。  映写機が回る。古いフィルム、その途中からが映し出され、そのなかでは刑事が男に向かって銃を向けている。激しくもみ合ったあとだったのか二人の息と服装が乱れ、刑事(男1)は銃を持っていない方の手で何とか襟を正そうとし、男(男2)は両手をあげて立っている。舞台は屋上。
 
刑   事  ……。
男      続きは?さっきの。
刑   事  ……。
男      まだ、終わりじゃないんだろ。
刑   事  ……ただ、それからあったことは俺は知らない。あの夏の日の、血をたぎらせるような暑さ。怪物のようにふくらんだ入道雲、庭に、ひまわりがでっかい顔をして立っていたこと。テレビのなかでは、ただ一度甲子園にふみこんだ球児たちの熱気。…あいつらどうしたろうな。あの夏の日に輝くような顔でブラウン管に現れたあと、今どこにいるんだろう。
男      ……。
刑   事  みんなもう忘れてしまっているんだ。あの夏の日は一瞬で目の前を通り過ぎていった。俺がたまたまつけていたテレビにあいつらは映し出され、あいつらもたまたまそこにいたんだ。あの夏の日も、たまたま俺の前を通りかかっただけなんだろう。あの夏の日、すっぱだかの青空、そして、たまたまいただけの俺。
男      ……。終わりか。
刑   事  終わりだ。

 男、空を見上げる。
 
男      屋上は、地面よりも空に近いかね。
刑   事  安心しろ、すぐにお空のお星様になれるさ。それも、

 ヒトリ、スクリーンの前に立つ。
 刑事、銃を構えなおす。
 
刑   事  飛びっきりの、スーパースターに。(フィルム途切れる)
ヒ ト リ    小さい頃、スーパースターに

ヒ ト リ (そのまま続けて)なりたかった。あの刑事が言ったようなお空のお星様ではなくて、銀幕の中や舞台のうえに輝いて立つ、あの名役者たちのように。物心つく前からでさえ、あこがれを持つには充分すぎるくらいに彼らは魅力的だった…
コータロー  はい、カーット!(手を叩く)照明さん。(照明に合図)

 コータロー、演出の仮面をかぶって演出になって舞台袖から出てくる。
 照明変わる。舞台小屋の風景。
 
演   出 んー。昨日も言ったんだけど、セリフ言う前に心をね、ちゃんと作って欲しいのね。うん。で、その心があると、どういうふうに自分の体とか雰囲気に表れてくるのかっていうのを分析してさ、それをここで再現して欲しいわけ。ゆうべ寝る前にもう一度考えた?
ヒ ト リ (首を縦に振る)
演   出  つかめた?
ヒ ト リ (首を横に振る)
演   出  そっかあ。まあ、ここまできたらあがいたって仕方ないんだけどね。本番まであと35分かあ……。うーん、やっぱり、あがいてみようか。はい役者集まって!

 舞台上に役者、わらわら集まってくる。
 
演   出  これからスーパースターごっこやります。昨日もやったからやり方覚えてると思うけれど、テーマは、そうだな……
男   2  銀行強盗。
演   出  じゃ言い出しっぺが犯人役。で、このひと(ヒトリ)が警部で、スーパースターになれるようにみんなで盛り上げる、と。犯人側にも刑事側にもついていい。じゃ、やるよー。
女   1  場面は?
演   出  そうだね…人質をとって、犯人が銀行に立てこもった。……ここからここまでが銀行ね。警察が犯人を一生懸命に説得しようとする。そのせめぎあいでドラマを作る。はい!(手を打つ)

 即興がはじまる。犯人(男2)が女1を人質にとりたてこもっている。
 
犯人(男2) ちくしょう、もう来やがったか…
刑事(男1) (だるそうに)えー犯人に告ぐ犯人に告ぐ。きみは完全に包囲されている、おとなしく出てきなさーい。故郷ではおふくろさんが泣いているぞー。
犯   人  (窓際に歩きながら)くそっ、ベタなセリフをまた投げやりに言いやがって、(窓を開ける)うるせー、こっちにゃ人質がいるんだぞ!開放してほしけりゃ裏口に車用意しろ!発信器とかつけんじゃねえぞ。
刑   事  くっそお、目には目を、ベタなセリフにはベタなセリフを返しやがって。警部、あんなこと言ってますよ、どうします。
ヒ ト リ  よーし、突入!
刑   事  任せといてください、援護頼みますよ! 人質がいたってかまうもんかあ! って、なんでやねん!
ヒ ト リ  いきなりノリツッコミ?突入だけに?
刑   事  向こうには人質がいるんですよ。
ヒ ト リ  私には関係ないわ。突入ー!
刑   事  だから、あなたに関係ないひとでも、何かあったら我々警察の体面が…
ヒ ト リ  世間体、ね? ムネオも気にした世間体、はん、世間体なんかにとらわれているからいつまでたっても日本人はだめなのよ。高度経済成長が終わってエコノミックアニマルと呼ばれなくなっても日本人は変わっていない。その金と世間体だけの日本人の象徴が銀行じゃないの! そうよ、私たちは銀行に突入するんじゃないの、世間体に突入するのよ! とつにゅうーっ!
刑   事  うおおおおおおおおおッ!覚悟しろぉー!(突入)

 のせられてしまう刑事。刑事に続いてヒトリも突入。騒然となる銀行内。
 
人質(女1) きゃああああっ。
犯   人  うわあ、人質がいるのに!
ヒ ト リ  うわあ、人質がいるぅ!
刑   事  人の話聞いとけよ!
ヒ ト リ (つかつかと犯人に近寄る)うるさいわね何よこんなもの、モデルガンじゃないの。このこの。(ピコピコハンマー)
犯   人  いてて。ふええ゛ーん。
刑   事  よわっ。。
ヒ ト リ  ほーら一件落着。さああんたの動機は何だ、金か! 恋人か! 昨日食べた魚の小骨がのどにひっかかってとれないのか! うーん1は絶対ない、2は……この顔に女なんかできない、とすると3がいちばん妥当ね……小骨による強盗……
刑   事  いや、どう見ても金だろう…
ヒ ト リ  小骨が男の一生を変えた。今夜の知ってるつもり?!はナナシナシオ(48)の半生にせまってみたいと思います。ちなみに彼女いない歴は48年です。
刑   事  なんて不憫な…
犯   人  うるせーてめえら、ひとのことさんざんおちょくりやがって、これを見ろ!

 犯人がポケットから何かを取り出す。強い緊張の走る一同の顔。…が、
 手ににぎられているのは、レモン。
 
犯   人  今すぐ金と車を用意しろ!用意しねえと、このレモンに思いっきりかぶりつくぞ!
一   同 (…………すっぱー…………)

 すっぱがる一同。
 
刑   事  はっ。警部、すっぱがってる場合じゃありませんよ。あれは、レモンです。
ヒ ト リ  そんなことわかってるわよ! 取り押さえなさい!
刑   事  お、おとなしくしろ!(飛び掛ろうとする)
犯   人  近寄るなっ!

 犯人、レモンに食いつく寸前。
 
一   同 (すっっぱー…………………)

 すっぱがる一同。
 
ヒ ト リ  ……くっ、あなたみたいな非モテ男系独身援助交際風オヤジが純文学を読んでるとはね……梶井基次郎でしょう!
犯   人  違う、元ネタは高村光太郎だ!
人   質  つまらないことで議論しないでよ! はやく助けて!
ヒ ト リ  ……いいわ、要求をのみましょう。オフネさん、手配してきて。
刑   事  はっ。(立ち去る)
犯   人  不憫なあだ名だな。
ヒ ト リ  それで、要求は何?
犯   人  人の話を聞かないやつだな。
ヒ ト リ  話を聞いてほしいのね? わかったわ。聞き終わったら人質を解放しなさい。さあ、いいわよ。準備はできたわよ。身の毛のよだつような花子さんの話? 芝居小屋に古の遠くから棲んでいる道化の話? レモンにまつわる悲恋の話? うーっ、くっくう……(泣き出す)
刑   事  警部、要求……って何でしたっけ、あっ警部?! 
ヒ ト リ  やられたわ……哀しいレモンにやられたわ……
刑   事  貴様、警部に何をした!
ヒ ト リ  やめて、ふたりとも! 私のために、争わないで……
犯   人  脚本家の人生がベタなんだな。
演   出  はい、カーット!(手を打つ)

 即興、止まる。
 
演   出 (苦笑しつつ)きみらね、即興のつもりなのにネタ仕込みすぎ。レモンとかレモンとかレモンとか……あと犯人、最後のセリフ、ぺけ。これ一応前フリだから。
男   2  え、何の?
演   出  ゲフンゲフン……あ、スーパースターの気持ちわかった?
ヒ ト リ (首をふる)
演   出  そっか…お笑いスターっぽかったからな。
男   1  なんでああなっちゃったんだろう。
女   1  日々に笑いが足りないし。
男   2  気づいたらね。
演   出  それって日々の稽古に笑いが足りないってことじゃん。いいよいいよもう、いじけてやるう……。(人目をひこうと何かネタをやる)(誰も相手にしないので傷ついて)じゃ、まあ、笑いの稽古でもするか。本番でも使うし、ついでに発散発散。
女   1  短絡的……
演   出  つべこべ言わない。あー今日はちょっと目隠ししてもらおうかな、対象物が見えなくても笑いの感情をつくる練習ね。

 役者に黒い布がまわる。全員目隠し。
 役者は横一列に整列。
 
演   出  はい、じゃ、笑いをこらえて!(手をうつ。以降同様)

 役者一同、笑いをこらえる。
 
演   出  はい!

 役者爆笑。
 
演   出  こらえて!(「もっとこらえて!」とか、テキトーに入れる)

 役者、こらえる。
 
演   出  はい!

 役者爆笑。
 
演   出  こらえて!

 役者爆笑。以下同様。
 
演   出 (ぼやく)先週、サイフすられちゃってさー。はい!
       こらえて!
       オフの日の競馬でもすっちゃってさー。はい!
       こらえて!
       個人的には経済に貢献してるんだけど、景気回復しないよなー。はい!
       こらえて!
       今年もいっこ単位落としそうだし……あ、先生。あの、ぼくの出席なんですけど、ちょっと体調悪い日が続いちゃって、なんとかなりませんかね……はい!
       こらえて!
       親父も職見つからないし、これ以上留年すると学費が厳しいんです……はい!
       こらえて!
       そうなんですよ、管理職で……ここだけの話浮気もしてて、最近ばれちゃって、
女   1  あんた十年もだまってたの?!
演   出  だから、向こうが誘ってきたんだって……俺からじゃないよ……
女   1  そんなこと聞いてんじゃないの! 十年もわたしのことだましてたなんて!
演   出  うるさいな、お前だってあれだろ、あの若い歯医者かなにか、毎週会ってるじゃないか。歯も悪くないのに、ざーとらしく予防とかいっちゃって、
女   1  あれは予防。あなたみたいに悪いムシがつかないようにね!
演   出  言ったな、このクソババア!
女   1  あんただってクソオヤジじゃないの! このこの!
演   出  いてててて(喧嘩の末、腕がキメられる)ギブギブ……はい!

 例のごとく役者爆笑。スタッフまで爆笑。女1、ガッツポーズ。
 
演   出  こらえて!
女   1  あらあセンセ、どこへお出かけ?
男   2  や、ちょっと、
女   1  ねえ、うちにいらっしゃらない? 主人昼間はいないのよ。
男   2  今、急いでまして……
女   1  今日じゃなくてもいいのよ、いつごろご都合よろしいかしら。
男   2  当分スケジュールがつまってまして……あ、チエコさーん。
ヒ ト リ  あ、こんにちは。
男   2  よく会いますね。そうだ、今からお食事ご一緒しません?
ヒ ト リ  ああ、私、お昼すませました……
男   2  そうですか、これからどこかへ (お出かけですか?)
ヒ ト リ  あの、書きかけの絵がありますので、すみません……

 ヒトリ去る。男2、にんまり笑う女1に連れて行かれる。
 
演   出  はい!  (一同爆笑)
       こらえて!
男   1  警部! 大変ですよ、このあいだの、銀行強盗事件のときのミスがマスコミにばれちゃって、
ヒ ト リ  なんですって!
男   1  今日の一面に……「人質いるのに突入、警察の無謀な判断」「またも不祥事、始末書も書かせない警部Aの怠慢」「レモンに気をとられた痴レモン」とか……これも、
ヒ ト リ  んあ、私は知らないわよ、あのときあなたが先に入ったんじゃないの、私は冗談を言っただけ。あなたの責任でしょう。
男   1  そんなあ、世間体に突入とか言って、自分がいちばん世間体気にしてんじゃないですか。(ヒトリが無視して行きかけるのを制する)あ……ちょっと待ってくださいよ、署長が、これから記者会見やるって……
ヒ ト リ  私知らないってば。あなたが頭下げてきなさいよ、しっかりね。
男   1  ……先月、キップ切られるところだったのもみ消したこと、ばらしますよ。
ヒ ト リ  はあ? じゃああんた、これも捜査ですー、とかいって、女子高生に手ぇ出したことばらされてもいいの?
男   1  署長と浮気してること署内のみんな知ってるんですからね!
ヒ ト リ  なーにーよーこのこの……ぺしぺし。(ピコピコハンマー)
男   1  いてて、ふえーん。
演   出  よわっ。。
ヒ ト リ  ほーら一件落着。さああんたの動機は何だ、金か! 恋人か! 昨日食べた魚の小骨がのどにひっかかってとれないのか! うーん1は絶対ない、2は……この顔に女なんかできない、とすると3がいちばん妥当ね……小骨による突入……
演   出  いや、上司の命令だろ……
ヒ ト リ  小骨が男の一生を変えた。今夜の知ってるつもり?!はシタッパケイジ(25)の半生にせまってみたいと思います。ちなみにロリコンオタク歴は25年です。
演   出  はい!(一同爆笑)
     こらえて!
男   1  人々の見ているものはすべて虚妄である。憐れみの必要はない。いけにえの殺戮のあとには純化された人間性への希望が残されるからである。(*1)
演   出  はい!(一同爆笑)
     こらえて!
男   2  諸君、立て!「革命が起これば、おまえなど死刑だ!」非同調者にはそう叫べ。そして、その覇気を忘れるな。革命が起こらねば何も責任をとらぬ口だけの腰抜けか。自分も死ね! 起こらねば死ね! 起こさなければ死ね! そうでなければ、ただの卑怯者だ。革命を起こすのだ。永遠に言動の責任を引き継ぐのだ!
演   出  はい!(一同爆笑)
     こらえて!
女   1  あー、なんかー、将来の夢とかー、別にないしー、志とかもー、そんなタイソーな、ねえ? とりあえずこのままフリーターでもいいや、って。え? ああ、付き合ってるひとならいるけどー、別にケッコンとか考えてないしー、今からひとりにしぼってても、ねえ。今五人いるけどー…あ!今のとこカットしてもらえます?えー、ちょっとこまるー、あはははは。んー、お医者さんとか、給料高いひとがいいけどー、現実にはそんな出会いないじゃん。あ、今日コンパなんだけどー、これからなんでー、オトコ探してきます。じゃっ。
演   出  はい!(一同爆笑)
       こらえて!
演   出 (変な熱血男風)ぼくは見た!赤信号の小人を、光と影、真昼と深夜の出会う場所、永遠の赤い夕暮れのなかにたたずむ人を。あれこそ始まりの始まり、終わりの終わる場所だ。ぼくはそこへ行く、きっとそこへ行く!
演   出  はい!(一同爆笑)
       こらえて!
男   1  屋上は、地面よりも空に近いだろうか。
演   出  はい!(一同爆笑)
       こらえて!
女   1  それでね、夜七時くらいになると、そこの電話ボックスにいつも来る女の人がいたの。なんか笑ったりさ、ふてくされたり、いつも楽しそうに話してるから、テレホンカードたくさん持ってたから、遠距離恋愛なんだろうな、とか思ってたんだけどね、ある日そのひとが話してるのを覗き込んでみたら、カードのね、残り度数が出てないの。壊れてたの、その電話。それなのに、そのひと……笑ったりさ、ふてくされたり、楽しそうに話してるの……
演   出  はい!(一同爆笑)

(ヒトリの様子がおかしくなりはじめる。)
 
       こらえて!
男   1  [自己紹介 ぼく、なんたらです。と名前を言ってあとは即興ネタ。]
演   出  はい!(一同爆笑)
       こらえて!
男   2  [自己紹介 おれ、ほにゃららです。と名前を言ってあとは即興ネタ。]
演   出  はい!(一同爆笑)
       こらえて!
ヒ ト リ  わ、わたし!
       ひとり、
        、  …。

 笑いの稽古、止まってしまう。
 何が起こったのかわからない役者たち、目隠しを外す。
 ヒトリはしたまま。
 一同、怪訝そうに見る。
 演出、ぽかん。
 
男   1 (女1に)おい。
女   1 (笑いをこらえながら)ひょっとしてえ、……ヒトリちゃんっていうの?
ヒ ト リ (答えられない)
男   2  え、名前なの? ぷ。
女   1  ともだちいなさそう……(こらえている)
男   1  ヒトリのヒトリはひとりぼっちのヒトリィー。

 ここで爆笑。  役者がクラスメイトになっていく。
 
演   出  おい、お前ら、(まだ合図してないぞ)

 笑い、高くなる。嘲笑。  ヒトリにたかりはじめるクラスメイト。
 
演   出  ちょっと、待てってば、

 一瞬で場面転換、男1=ゴリ、男2=サブ、女1=ハナザワ、演出=コータロー。  コータローは演出の仮面をはずして飛び込んでくる。
 
コータロー  おい、お前ら、これを見ろ!

 コータローがポケットから何かを取り出す。緊張の走る一同の顔。…が、  手ににぎられているのは、 例によってレモン。
 
コータロー  今すぐその子から離れろ! 離れないと、このレモンに思いっきりかぶりつくぞ!

 間をおいてクラスメイト、爆笑。
 怒ったコータロー、
 かぶりつく、
 寸前。
 で止まったまま。
 クラスメイト、だまりこむ。
 興がさめた。
 
ゴ   リ  なんだってんだよ、ええ? てめえがレモンなんかかじったところで、こっちはすっぱくもなんともねえんだよ!(ぶつぶつと)……道理であの即興にリアリティがないはずだぜ、サブ、おめえのボケが悪いんだぶつぶつ
コータロー  このかなしいレモンいっこいっこに全力でかぶりつくぞ。

 間をおいて。
 
一   同 (……、やっぱ、すっぱー……………)
ハ ナ ザ ワ  やられたわ……かなしいレモンにやられたわ……
サ   ブ  はっ。大将、すっぱがってる場合じゃありませんぜ。あれは、レモンです。
ゴ   リ  んなことわかってら! ふんじばれ!
サ   ブ  お、おとなしくしろ!(飛び掛ろうとする)
コータロー  近寄るなっ!

 コータロー、レモンに食いつく寸前。
 
一   同 (……すっっぱー…………………)

 サブ、すっぱさのあまり泣きそう。
 
ゴ   リ  てめえ、今日のところは許してやらあ。だが今度会ったらただじゃおかねえからな。(行きかける)
サ   ブ (半べそ)すっぱいよう……いっぱいすっぱい……しっぱいおっぱい……ぶつぶつ
コータロー  俺に近づくと、すっぱ死にするぜ。
ゴ   リ  けっ。

 三人、ひきさがる。背を向けてお互いをいたわりつつ。
 ヒトリ、べそをかいている。
 
コータロー  もう行っちまったよ。(目隠しをとってあげながら)よしよし……大丈夫だから……ああ、アメとかアメとか……何か持ってくればよかったな、ムチしかない。
      (ムチを取り出す。間)
       いやっ! これ、普段使ってるわけじゃないから。今日というこの日のこの瞬間のために、このギャグのために買ってきたものだから……
ヒ ト リ (レモンをじーっと見る)
コータロー  ん、何…?
ヒ ト リ (じーっと見る)
コータロー  欲しいの……?(ムチのほうだと勘違い)
ヒ ト リ (うなづく)
コータロー  ムチ? ムチ……。わあっ、駄目だ駄目だ駄目駄目、駄目だ駄目だ駄目駄目……八分の十拍子……じゃなくて、そんなアメとかムチとかローソクとか、どこで覚えたのぉっ! おーほほほ、女王さまとおっよっび! ぼく去年の芸術祭はここでさ、下僕ってでっかく書いたランニングシャツ着て「女王さま、踏んでください……」とかいってあそこにいる音響さんにムチ打たれる役だったけど、今年こそはムチうつ役だあ!       (とかなんとかテキトーに錯乱)
ヒ ト リ  レモン。
コータロー  え? レモン。レモン責め?! なかなかマニアですな、お客さん(おーら、すっぱいぞうすっぱいぞうでへへへ…… とかなんとかテキトーに)
ヒ ト リ (じーっと見る)
コータロー  いや……だめだよ、これもだめ。きみ、これ食べると、死んじゃうことになってる。
ヒ ト リ  ?
コータロー  ぼく、コータローっていうんだ。
ヒ ト リ  わたしは…
コータロー  知ってる。だから、さ。
ヒ ト リ  ?
コータロー (ヒトリと自分の額に手を当てる)まだ結核の症状出てないみたいだけど、大丈夫かな……あ、ごごめん。(手をどける)とにかく、レモンはだめなんだ。
ヒ ト リ  ふーん。(まだ、べそ)助けてくれて、ありがと。
コータロー  どういたしまして。
ヒ ト リ  なんで、わたしのこと知ってるの?
コータロー  ああ、ぼく、ここにずっと棲んでるんだ。
ヒ ト リ  ここに……ずっと?
コータロー  そう。この、芝居小屋にさ。だから、きみのこともずっと見てた。
ヒ ト リ  そうなんだ。
コータロー  セリフ以外のことはぜんぜん喋らないんだね。さっきは、何か言おうとしてたけど。何だったの?
ヒ ト リ  ……忘れちゃった。
コータロー  そっか。
ヒ ト リ  ねえ、わたしのこと見てたって言ったけど、わたしの名前、知ってる?
コータロー  ……チエコ。
ヒ ト リ  何で?
コータロー  ぼくがコータローだから。レモンも、持ってるし。
ヒ ト リ   そう、なんだ。
コータロー  うん、だから、レモンはだめなんだ……
ヒ ト リ  そうだ、さっき死んじゃうっていったけど、レモンってなんなの?
コータロー  レモンは、レモンだけど……うんと、赤信号と青信号の間には、何がある?
ヒ ト リ  え?
コータロー  黄色があるよね。その黄信号のことだよ、一時停止。すぐに、赤信号になっちゃうんだ。もちろん、横断歩道の先にある歩行者用信号にはないけどね……ほら、あそこにも……

「通りゃんせ」が電子音で聞こえてくる。
 
コータロー  そろそろ、帰らなくちゃね。日が暮れてきた。……また明日も会える?
ヒ ト リ (うなづく)
コータロー  よかった。
声      信号が、赤になります。無理な横断はやめて、しばらくたってから渡りましょう。
コータロー  あ、 。

 コータロー、急いで横断歩道をわたる。
 ヒトリはそれを目で追う。
 向こうから渡ってきたひとの間に消えそうなコータローの、姿。
 渡りきったところでちょうど、信号が赤になる。
 雑踏。
 
コータロー  じゃあね、
ヒ ト リ  ……あ!
コータロー  ん?
ヒ ト リ  ……なんでもない。
コータロー (笑って)また。ばいばーい。

 コータローの姿、消える。  立ち尽くすヒトリ、そして、雑踏。
 
ヒトリの声  横断者用信号にはふたりの小人がいる。赤信号のなかにたたずんだ小人、青信号のなかには歩き回る小人。ずっと出られずに、閉じ込められている。わたしは、赤信号のほうの小人だ。日が暮れて、空は真っ赤に染まる。信号が青になっても、わたしは立っているだけ。

「通りゃんせ」ふたたび。
 
ヒトリの声  向こうからたくさんのひとが渡ってくる。たくさんのひとが過ぎていく……そのなかに、わたしは探す、お父さん、お母さん、友達、一度だけ会ったひとも、そして、好きだったひと。みんなわたしの横を通り過ぎる。さようなら、さようなら、初めて会うひと、そうでないひと、みんな、さようなら……
声      信号が、赤になります。無理な横断はやめて、しばらくたってから渡りましょう。
ヒ ト リ  そして、わたしは、赤信号のなかにひとりのこされる。

 赤信号の風景。

 突然、
 クラクション!「父親」(男1)が信号を無視して渡ってきた。
 手には、台本。
 
「父  親」(息切れ)
男 の 声  ばかやろ、前見て歩け!
ヒ ト リ  お父さん。
「父  親」「おお。何してるんだ?」
ヒ ト リ  お父さんこそ……何読んでるの?
「父  親」「ああ、これは、台本だ。」 台本だなぁ。
ヒ ト リ  わたしのセリフも、書いてあるの?
「父  親」「ん、そうだ。お前が次のページでいうセリフもわかる。」
ヒ ト リ  今のそれも、セリフ?
「父  親」「ああ。……ちょっと疲れてるんだ、そっとしておいてくれ。」

「父親」、行きかける。
「母親」(女1)、台本を持って先に立ちはだかる。
 
「母  親」「あんた十年もだまってたの?!」
「父  親」「(うんざり)だから、向こうが誘ってきたんだって……俺からじゃないよ……」
「母  親」「そんなこと聞いてんじゃないの!十年もわたしのことだましてたなんて!」
「父  親」「うるさいな、お前だってあれだろ、あの若い歯医者かなにか、毎週会ってるじゃないか。歯も悪くないのに、ざーとらしく予防とかいっちゃって、」
「母  親」「あれは予防。あなたみたいに悪いムシがつかないようにね!」
「父  親」「言ったな、このクソババア!」
「母  親」「あんただってクソオヤジじゃないの!このこの!」
「父  親」「いてててて」(喧嘩の末、腕がキメられる)「ギブギブ……」

 ヒトリ、じっと見ている。
 それに気づいた「父親」と「母親」。
 
「父  親」「あは、ははは。」
「母  親」「……」
「父  親」「(ヒトリに)そ、そうだ、今日、獅子座流星群が来るんだって。見に行かないか。」
ヒ ト リ  ……。
「父  親」「ほら、星、好きだったろ。なあ、」
ヒ ト リ  台本はずしたら?家族とコミュニケーションとるときくらい。

 ヒトリ、行ってしまう。
 
照   明  暗転します。

 暗転。
 
「父  親」「おお。それも、台本通りだ…」

 暗闇のなか転換。
 
コータロー  僕の前に道はない
       僕の後ろに道は出来る
       ああ、自然よ父よ
       僕を一人立ちにさせた広大な父よ
       僕から目を離さないで守る事をせよ
       常に父の気魄を僕に充たせよ
       この遠い道程のため
       この遠い道程のため(*2

 この朗読の最中に明かりが入ってくる。
 場面が変わると教室の風景である。先生は台本を読んでいる。
 
先生(女1) はい。えーちなみに、あの上野公園の西郷隆盛像を作ったのがこの詩人のお父さんの、光雲というひとね。光雲は今の芸大美術学部の前身である東京美術学校に勤め、また息子は学生としてそこに通っていました。だからこの詩人は彫刻もやるんですね。で、若いときのいちばん最初の詩集におさめられているのがこの有名な詩、『道程』です。えー作者はこの詩で何が言いたかったか、はい、骨川君。
サブ(男2) いきなり立ち入った質問ですね、先生。
コータロー (小声で)つべこべ言わない。開場まで時間がないの。
サ   ブ  は?
先   生  うーんわかんないか。じゃ、つぎ剛田君。
ゴリ(男1) 作者はきっと、くるしかったんだと思います。
先   生  なんで?
ゴ   リ  ずっと欲求不満だったからです。この遠い「ドーテー」のため。
コータロー  はい!(小声で。手をたたく)

 クラスメイト、爆笑。
 
先   生  ちょっと、静かに。静かにしなさい。

 笑いはやまない。
 バアン!
 先生が台本で教卓をぶったたく。(意外と思い切りもあるひとだ。)
 しんとする。
 咳払いひとつ。
 
先   生  えー。もういいです。次のところ、長沼さん、読んで。
ヒ ト リ  はい。

        レモン哀歌    高村光太郎

       そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
       かなしく白いあかるい死の床で
       私の手からとつた一つのレモンを
       あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
       トパアズいろの香気が立つ
       その数滴の天のものなるレモンの汁は
       ぱつとあなたの意識を正常にした
       あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
       わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
       あなたの咽喉に嵐はあるが
       かういふ命の瀬戸ぎはに
       智恵子はもとの智恵子となり
       生涯の愛を一瞬にかたむけた
       それからひと時
       昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
       あなたの機関ははそれなり止まつた
       写真の前に挿した桜の花かげに
       すずしく光るレモンを今日も置かう

先   生  これは『智恵子抄』という詩集のなかに収められています。『道程』を発表した年に光太郎は智恵子という女性と暮らし始めるわけですが、この詩集はその智恵子に捧げられています。彼女は……
ヒ ト リ  先生。
先   生  はい、長沼さん。
ヒ ト リ  レモンってなんのことでしょうか。
先   生  は?
ヒ ト リ  なんでこの詩人はレモンを取り出してきたんでしょうか。
先   生  ああ、レモンは当時、肺病などの痛みをやわらげる効果があると言われていたんですよ。
ヒ ト リ  それだけなんでしょうか。
先   生  え?
ヒ ト リ  梶井基次郎が檸檬をデパートに仕掛けたように、光太郎はレモンを智恵子に仕掛けたのではないでしょうか。
全   員  ……(短い間、コータローは特に反応する)
ヒ ト リ (ひとりごちて)確かに、仕掛けられたんです、黄信号を……
先   生  信号?
ヒ ト リ  一時停止です。すぐに、赤に、なってしまうって。

 うずうずしていたコータロー。  ここで仮面をつけて演出になり、手を叩く。(tempo up)
 
演   出  はいはいはい。きみは何だか知りすぎているなあ。よくないよくない。芝居が段取りになってる。
ヒ ト リ  芝居がおんどりになってる?
演   出  それじゃ卵が産めないわけだ。
サ   ブ (うなづく)卵が先か、鶏が先か。
ゴ   リ (うなづく)握手が先か、挨拶が先か。
先   生 (うなづく)セリフが先か、演出が先か。
演   出  これをそのままあげておけば良かったんだな。はい。(ムチを渡す)これできみの無知無知度は上がることだろう。運命には逆らうな、何も知らなくていいんだ、無知のままで。
ヒ ト リ  私さっきは中学生だった。ひょっとして次は、女王の役でもやれって?
ゴ   リ  そうだ。叩いてみたかったんだろ。
サ   ブ  与えられた役をこなさなきゃいけない。
先   生  もらった無知をふるってみせるの。何も知らない何も知らないって。(サブをたたくアクション。サブはいたがりよろこぶ)
演   出  それを持って今日はお帰り、本当に早く帰らなくちゃいけないよ。放課後の教室でだって横断歩道の前だって、きみはいつだってヒトリのまま立っているだけなんだから。

 チャイムがなる。
 
先   生  はい、今日はこれで終わりー。
演   出  気をつけ、なかにし、礼。
全   員  きたぁのーさかばどおぉりにはぁー。

 みんな帰っていく。ヒトリだけ取り残される。
 いつの間にか教室は消えて、路上。
 ムチを持ってたたずんでいる。日が暮れて、赤信号。
 
ヒ ト リ  わたし、……、
       ひとり、   、。

 青信号。通りゃんせ。
 演出の指示で、横断歩道の向こうから、「父親」やってくる。
 ヒトリに気づく。
 
「父親」(男2)「ヒトリ。」
ヒ ト リ  んあ?
「父  親」「なんでまたこんなところにつっ立っ」うわあ!
ヒ ト リ  ああ、お父さん。
「父  親」 そ、それどうしたの。
ヒ ト リ  ああ、さっきもらったの。なんだろうこれ。
「父  親」 ムチ……、いやムチムチ無知無知、無知のふり、しらないふり、しらないふり。
ヒ ト リ  これ、何に使うのかな。
「父  親」 直球キたよ。
ヒ ト リ  無知をふるえだって……どうすればいいんだろう? 何も知らなかったことにしてしまえばいいの?
声      信号が、赤になります。無理な横断はやめて、しばらく経ってから渡りましょう。
「父  親」 ……
ヒ ト リ  ……
「父  親」 そうだ、今日、獅子座流星群が来るんだって。見に行かないか。
ヒ ト リ  ……。
「父  親」 ほら、星、好きだったろ。なあ。
ヒ ト リ  お父さん、台本は?
「父  親」(はっとしてあわてる)「お、おお、それも、台本通りだ…」
ヒ ト リ  いいよ、行こうか。
「父  親」(うれしそう)「……ちょい待ち、出かける準備してくる。」

「父親」去る。ヒトリ、見送る。
 そのまますぐに転換。
 コータローが何やら、机の上で書きものをしている。
 
コータロー  チエコ   東京には空がない。ほんとの空が見たい。
       コータロー ほんとの空ってどこにあるの?
       チエコ   アダタラ山の山の上に毎日出てゐる青い空が私のほんとの空なの。
       コータロー あどけない空の話だな。

       ……………うーん。

 コータロー、ぶつぶつ言いながらあたりをぐるぐる歩き回る。
 だんだん歩調が速くなる。
 ヒトリ、面白がってついてゆく。
 
ヒ ト リ  何やってるの?
コータロー (原稿を見ながら)うろうろしてる。
ヒ ト リ  まるで青信号の小人みたい。
コータロー  ぼくのペンは立ち止まってしまって、赤信号だけれど。
ヒ ト リ (立ち止まる)よく晴れてるんでしょう。
コータロー  え?
ヒ ト リ  青信号のなかのこと。
コータロー (ぐるっと回ってきて、後ろからぶつかる)アダタタタタタ。
ヒ ト リ  アダタラ山の上。星が回ってる。手に届きそう。
コータロー  星をつかみたいか、その手に、しっかり。
ヒ ト リ  うん。
コータロー  なら、屋上にのぼるんだ。
ヒ ト リ  え?
コータロー  屋上は地面よりも空に近いはずだもの。
ヒ ト リ  屋上ってどこの?
コータロー  歩行者用信号の上だよ。世界の一階が青信号、世界の二階が赤信号。星をつかみたいなら、きみはそのまた上にのぼるんだ。朝方の青空、暮れる赤い夕焼け、そして屋上の星空さ。夏の日、 !
       夏の日……きみはきっとそこでなら眠れる。
ヒ ト リ  私眠らなくていい。星空をずっと見上げていたい。
コータロー  夜空を見上げたって星座の名前なんかわからないんだろ。
ヒ ト リ  無知をもらったからね。お父さんなら知ってるけど。
コータロー  じゃあ、きみが星座になっちまうのがいいじゃないか。
ヒ ト リ  え?
コータロー  ぼくがきみを、
「父  親」(袖から)「ヒトリー。」

 気をとられるヒトリ。
 我に返るコータロー。
 
コータロー  ……ほら、呼んでるぜ。ぼくはこのあどけない話の続きを書かなくちゃ。……まだ、終わりじゃないんだ。

 コータロー、去る。演出の仮面をかぶる。
「父親」、缶コーヒーを二本抱えてやってくる。
 すぐに転換。深夜、近くの公園。
 近所のひと(男1、女1)も星を見に訪れている。
「父親」は相変わらず台本を持ち、ペンライトで照らしている。
 
「父  親」「はい。キリマンジャロ。」
ヒ ト リ  ありがと。
「父  親」「いやあ、さっき来たのは大きかったな。」
ヒ ト リ  ちゃんと見てたの? 台本読んでばっかりで。
「父  親」「見てたさ。」
ヒ ト リ  ふ。(すこし笑う)
演   出 (袖から、小声で)はい!

 ひとつ、星が降る。
 
各   自  あ!(指さす)
       え、どこ?
       あっちあっち、ああ。
       消えちゃった?
       大きかったぁ。

 など、口々。
 
「父  親」「ここなら暗いからもっといっぱい星が見えるかと思ったけれど、案外明るくて、だめだねえ。」
ヒ ト リ  うん。
「父  親」「ジャングルジムでもあればいいんだけど。」
ヒ ト リ  今回は大道具さんがいなくてね。
「父  親」「部員少ないからね……。」
ヒ ト リ  うん……。募集中……。
演   出 (袖から、小声で)はい!

 ひとつ、星が降る。
 
各   自  あ!(指さす)
       え、どこ?
       あっちあっち、ああ。
       消えちゃった?
       大きかったぁ。

 など、口々。
 
ヒ ト リ  願いごと言えなかった。
「父  親」「ん?部員増えますように?」
ヒ ト リ  ううん。(ひとりごとをつぶやく)

 短い間。
 
ヒ ト リ  超新星って英語でさ、なんていうのかな。
「父  親」「知らないなあ。」
ヒ ト リ  ……スーパースター、かな。
「父  親」「んー。どうかな。わかんない。」(*3)
ヒ ト リ  ここからだとよく、見えないね。
「父  親」「うん。」
ヒ ト リ  東京には、ほんとの空がないのかな。
演   出 (袖から小声で)はい!

 ひとつ、星が降る。
 
各   自  あ!(指さす)
       え、どこ?
       あっちあっち、ああ。
       消えちゃった?
       大きかったぁ。

 など、口々。
 
ヒ ト リ  あの建物邪魔だなあ。二階までしかないくせに意外と大きくて、空を切ってる。
「父  親」「あそこに檸檬爆弾を仕掛けて建物を木っ端微塵に、!」
ヒ ト リ  それじゃ梶井基次郎だよ。高村光太郎でいかなきゃ。
「父  親」「じゃどうするのさ。」
コータロー  ういーす。
ヒ ト リ  あれ、もう書けたの、続き?
コータロー  いや、ちょっと煮詰まってて。星でも見れば思いつくかなあ、って。
ヒ ト リ  そうだよ、小休止小休止。
コータロー  小休止、……小公女、……セーラ、…ー服を脱がさないで、(ぶつぶつ)
ヒ ト リ  古いよ、ネタが。
コータロー (茂みを見ながらぶつぶつ)セーラー服と機関銃……そういうことか。
ヒ ト リ  何?
コータロー 「あ。」(台本を書きながら)
ヒ ト リ    ?
コータロー 「モデルガンが落ちてら。ふたつ。」(ふたりに渡す。)
「父  親」「公園だしね、誰か忘れていったんじゃない。」
ヒ ト リ  そういえば、よく遊んだよねえ。犯人と警察ごっこして、さ。
「父  親」「小さい頃見た映画のせいだよな。バンバーン、とかやっちゃって。」
ヒ ト リ  そうそう。私大好きだった。(父親に一丁を渡してもう一丁は自分が持つ)ばーん。
「父  親」(もらった一丁を持って)「ばーん。」
ヒ ト リ  ふふ。
「父  親」「はは。」

 二人、銃をさまざまな方向に向けて遊ぶ。
 カップル、木、遠くのビルに。
 
ヒ ト リ  ばーん。
「父  親」 ばんばーん。

 三人、遊び始める。
 ばんばーん。うわっ、やられたあ。などなど。
 
コータロー  ……あ。続き考えついた。帰るね、ばいばいっ。(走り去る)
ヒ ト リ  ばいばーい。ばーん。
「父  親」「はは。」
ヒ ト リ  楽しくなってきちゃった。
「父  親」「なんでだろ。」
ヒ ト リ  そうだ、あのビルの屋上に行こうよ。
「父  親」「なに、犯人と警察ごっこでもやるの?」
ヒ ト リ  あの古い映画みたいに。
「父  親」「いいねえ。なんだか久しぶりだな、お前と遊ぶの。」

 二人、楽しそうに。
 
ヒ ト リ  手を挙げろぉー。
「父  親」「お前こそぉ!」
ヒ ト リ  お前を逮捕するー。
「父  親」「へっ。こっちまできやがれってんだぁ。」(逃げ出す)
ヒ ト リ  あっ、待てえ。(追いかける)
「父  親」「こっちだよー。」
ヒ ト リ  待て待てー。
「父  親」「はっは。」
ヒ ト リ  逃げるとあとで罪が重くなるぞ!
「父  親」「捕まらないからいいもんね!」
ヒ ト リ  捕まえる!

 父親、建物(=信号)のなかに入っていく。音楽徐々にsnakein.
 暗闇に包まれる(照明は最小限の明かり)。

(※舞台袖でさまざまなテキストが読まれる。演出家の指示による)

 コータロー、下手奥の机に座って何かの原稿を書き始める。暗闇のなかに光るライトスタンド。
 
「父  親」「暗いな…」
ヒ ト リ  逃がさないよ!
「父  親」「おおっとやべえ、あばれはっちゃく寅之助。」
ヒ ト リ  どこいった?
「父  親」「へっ、こんだけ暗けりゃ見失うわな……って!(目の前にヒトリが現れる)」
ヒ ト リ (銃を突きつけて)あはっ、ペンライト持ってるからばればれー。
「父  親」「ところがどっこい!」

 ライトをヒトリの目に向けて目くらまし、その隙に逃げる。ライトを投げ捨て、台本を読まなくなる父親。
 
ヒ ト リ  んあっ! 卑怯者!
「父  親」 は、逃げるのに卑怯も素っ頓狂もあるか!(階段を上っていく)
ヒ ト リ  階段を上がったわね! 待てえ!

 ヒトリ、勢いあまって引き金を引く。
 銃声!
 
「父  親」 があ!

 父親、片足からくずれる。
 
ヒ ト リ  え?! (モデルガンのはずなのに!)
「父  親」 い、いでぇぇぇぇ……
ヒ ト リ (嘘、)

 ヒトリ、引き金をもう一度引く。
 銃声!
 
「父  親」 うあああ!

 はずれたようだ。

 ヒトリ、様子が変わる。
 父親がいると思われる方向に銃を向けながら近づく。
 
ヒ ト リ (しずかに)お父さん、だいじょうぶ? すぐ手当てしなきゃ。ね、傷、見せて……
「父  親」 じゅ、銃、こっちに向けるなあ、
ヒ ト リ  大丈夫。撃ったりしない。撃ったりしないから…

 ぎりぎりまでおさえた声。 
 ヒトリ、迫りながら狙いを定める。
 
「父  親」 ひぃぃぃぃ、、

 ヒトリが迫ってくるので恐怖のあまり逃げ出す父親。
 
ヒ ト リ  待て! 止まらなければ撃つ!
「父  親」 馬鹿! やめろぉ!(逃げ続ける)

 ヒトリ、引き金を引く。 
 銃声!
 
「父  親」 ぎゃあっ!

 肩をおさえこむ父親。
 
「父  親」 や、やめろ!(足をひきずりながら階段をさらに上っていく)
ヒ ト リ  このうえは屋上だ! 逃げ場はないぞ。
「父  親」 助けてくれええ! 狂ってる!

 屋上に出る。照明すこし明るくなる。
 肩で呼吸する、息の切れた父親。   
 銃を構えるヒトリ。
 
「父  親」 嘘だ……こんなの、台本になかった!

 台本を開くと、
 
「父  親」 馬鹿な! 嘘だ嘘だ!
ヒ ト リ (短い間)どうしたの。
「父  親」(やや長い呼吸)「台本、通りだ……」

 コータロー、筆を止める。
 机から彼らを見つめる。

 すこしの間。

 コータロー、また書き始める。
 
ヒ ト リ 「……さよならお父さん。本当はあなたは父親でもなんでもなかった。家でも放課後の教室でも路上でも、私はいつもヒトリだった。
「父  親」(ぶつぶつ)台本通りだ……台本……次は俺がつかみかかる……銃を取ろうとして……台本、台本、台本……
ヒ ト リ (そのまま続き)誰の子供でもなかったし、誰の友達でもなかったし、ましてや誰のチエコでもなかったの。私はヒトリ、何も知らない、何も知らないと無知をふるってたくさんのひとを傷つけてきたヒトリ、世界中の交差点にある赤信号のなかで今も永遠の夕焼けを見ている小人のうちのただのヒトリだったの。だけどもう違うの。私は屋上に来た。今私は、屋上にいる!」

(台本のト書きを頭に入れた父親)
 
「父  親」「うおおおおおおお!」

「父親」、つかみかかる。
 ヒトリ、銃を「父親」の胸に突き立てる。
 
「父  親」「ヒトリ!」

「父親」、ヒトリの肩をゆさぶる。
 銃声数発。
「父親」、台本通り、撃たれる。
 ヒトリ、様子が変わる。
 
ヒ ト リ  お父さん!
「父  親」「は、はは、これも、台本通りだ……」

「父親」絶命。台本通り。
 
ヒ ト リ  ……(そんな)、

 机に向かっていたコータロー、仮面をつける。演出に。
 
演   出  あー、目の前には辛い現実、それでも頑張って前を見ていこう。最後までこのくだらない芝居を演じきろう。アクション!(手を叩く)
男   1  アクション!(舞台袖から手を叩く)
女   1  アクション!(手を叩く)
演   出  アクション!(手を叩く)
男   1  アクション!(手を叩く)

 次第にかけ声が重なり、高まっていく。   
 このかけ声をする者の順番は乱れてかまわない。
 スタッフまでもが加わる。
 やがて、ヒトリ以外の全員の声に。
 
全   員  アクション!(手を叩く)

全   員  アクション!(手を叩く)

全   員  アクション!(手を叩く)   〜繰り返し

ヒ ト リ  いやあああああ!

演   出  はい!(手を叩く)

 ヒトリ以外、全員爆笑。
 
演   出  はいはいはい、笑いの稽古終わりー。これでまあ発散もしただろうし、こんなもんでしょ。……おっと。えー、本番まであと5分です。まだ不十分なところをぎりぎりまでつめたい。スーパースターのところ、もう一度いいかな。
女   1  提案!
演   出  ほい。
女   1  スーパースターにあこがれるひとが、即興のときにスーパースターの役をやっても意味ないと思うのね。人質とか、助けられる役がいいんじゃないの。
演   出  ああ、そうだね。じゃきみ(ヒトリ)は人質役。さっきのと同じ展開でいいから、ちょっとやってみようか。
男   2  言い出しっぺが犯人役だよな。
演   出  うぐ。じゃ道具貸して。(受け取る)
男   1  ほんとは自分が警察やってみたかっただけなんじゃないの。
女   1  当たり前じゃない、誰だってスーパースターにはなりたいもん。
演   出  はい、んじゃ、警部役(女1を指す)。部下ふたり(男1、男2を指す)。人質をとって、犯人が銀行に立てこもった。……ここからここまでが銀行ね。警察が犯人を一生懸命に説得しようとする。そのせめぎあいでドラマを作る。はい!

 即興がはじまる。犯人(演出)がヒトリを人質にとりたてこもっている。
 
犯人(演出) ちくしょう、もう来やがったか…
刑 事 1 (だるそうに)えー犯人に告ぐ犯人に告ぐ。きみは完全に包囲されている、おとなしく出てきなさーい。故郷ではおふくろさんが泣いているぞー。
犯   人 (窓際に歩きながら)くそっ、ベタなセリフをさっきと同じとおりに言いやがって、(窓を開ける)うるせー、こっちにゃ人質がいるんだぞ!開放してほしけりゃ裏口に車用意しろ!発信器とかつけんじゃねえぞ。
刑 事 2  くっそお、目には目を、ベタなセリフにはベタなセリフを返しやがって。警部、あんなこと言ってますよ、どうします。
警   部  よーし、突入!
刑事1・2  任せといてください、援護頼みますよ! 人質がいたって、構うもんかあ! って、なんでやねん!
警   部  いきなりノリツッコミ?突入だけに?
刑 事 1  向こうには人質がいるんですよ。
警   部  私には関係ないわ。突入ー!
刑 事 2  だから、あなたに関係ないひとでも、何かあったら我々警察の体面が……
警   部  世間体、ね?ムネオも気にした世間体、はん、世間体なんかにとらわれているからいつまでたっても日本人はだめなのよ。高度経済成長が終わってエコノミックアニマルと呼ばれなくなっても日本人は変わっていない。その金と世間体だけの日本人の象徴が銀行じゃないの! そうよ、私たちは銀行に突入するんじゃないの、世間体に突入するのよ! とつにゅうーっ!
刑事1・2  うおおおおおおおおお!覚悟しろお!(突入)

 刑事たちに続いて警部も突入。騒然となる銀行内。
 
ヒ ト リ  きゃああああっ。
犯   人  うわあ、人質がいるのに!
警   部  うわあ、人質がいるぅ!
刑事1・2  人の話聞いとけよ!
警   部 (つかつかと犯人に近寄る)うるさいわね何よこんなもの、モデルガンじゃないの。ぺしぺし。(ピコピコハンマー)
犯   人  いてて。ふええ゛ーん。
刑事1・2  よわっ。。
警   部  ほーら一件落着。さああんたの動機は何だ、金か! 恋人か! 昨日食べた魚の小骨がのどにひっかかってとれないのか! うーん1は絶対ない、2は……この顔に女なんかできない、とすると3がいちばん妥当ね……小骨による演出……
刑事1・2  いや、どう見ても金だろう。
警   部  小骨が男の一生を変えた。今夜の知ってるつもり?!はウレナイエンシュツ(48)の半生にせまってみたいと思います。ちなみに売れない演出歴は48年です。
刑事1・2  なんて不憫な…
犯   人  うるせーてめえら、ひとのことさんざんおちょくりやがって、これを見ろ!

 犯人がポケットから何かを取り出す。
 強い緊張の走る一同の顔。が、
 手ににぎられているのは、レモン。
 
犯   人  今すぐ金と車を用意しろ! 用意しねえと、このレモンに思いっきりかぶりつくぞ!
一   同 (…………すっぱー…………)

 すっぱがる一同。
 
刑 事 1  はっ。警部、すっぱがってる場合じゃありませんよ。あれは、レモンです。
警   部  そんなことわかってるわよ!取り押さえなさい!
刑事1・2  お、おとなしくしろ!(飛び掛ろうとする)
犯   人  近寄るなっ!

 犯人、レモンに食いつく寸前。
 
一   同 (すっっぱー…………………)

 すっぱがる一同。
 
警   部  ……くっ、あなたみたいな非モテ男系独身援助交際風オヤジが純文学を読んでるとはね……梶井基次郎でしょう!
犯   人  違う、元ネタは高村コータローだ!

全   員 (……)

 しばらく待つが、次のセリフが出ない。
 
刑 事 1  次誰のセリフだっけ。
刑 事 2  さあ。
警   部  確か、前はわたしが、つまり人質が、次だったような……

 全員、ヒトリをそれとなく見やると
 演出(犯人)の手のレモンを、
 がりりと噛む、ヒトリ。
 
警   部  あああああっ!
刑 事 1  すっぱい!
刑 事 2  逃げろぉ!

 とかなんとかテキトーに、
 三人は大騒ぎしながら我先にと逃げ出していく。
 舞台上に残される、ふたり。
 演出の仮面をとるコータロー。
 
コータロー  ……すっぱく、ないのか。
ヒ ト リ  すっぱい、よ。
コータロー  ……馬鹿! これ、食べたら、
ヒ ト リ  知ってる。いいの。よかった。
コータロー  なんで……
ヒ ト リ  名前、呼んで。
コータロー  えっ。
ヒ ト リ  なまえ。
コータロー  ……チエコ。
ヒ ト リ  ふふ。
コータロー  そんなにも、きみは……レモンを、(待っていたのか)
ヒ ト リ  続きは?
コータロー  えっ。
ヒ ト リ  まだ、終わりじゃないんでしょう。

 間。
 コータロー、何かを思い出したように、机に近づく。
 ヒトリ、そのまま立ち尽くす。ふと空を見上げる。
 赤信号の空だ。
 コータロー、椅子に座って、原稿用紙の続きを書こうとする。

 信号が青に変わる。
「通りゃんせ」が聞えてくる。
 
男   1  開場します。

 芝居小屋の扉が開かれる。
 光が射し込む。演出されていない、光が。
 ヒトリ、靴を脱いで、その光の方へ歩き出す。
 コータロー、気づかない。続きを書き始めながら、
 
コータロー  ……ただ、それからあったことをチエコは知らない。あの夏の日の、血をたぎらせるような暑さ。怪物のようにふくらんだ入道雲、庭に、ひまわりがでっかい顔をして立っていたこと。テレビのなかでは、ただ一度甲子園にふみこんだ球児たちの熱気。……彼らはどうしただろうか。あの夏の日に、輝くような顔でブラウン管に現れたあと、今どこにいるのだろう。

 ヒトリが群像になり、靴を脱ぎ続ける。(*4)
 横断歩道をわたっていく群像。
 ひとびとのあいだを、すれ違うひとにさようならもいわずに。
 
コータロー  みんなもう忘れてしまっているんだ。あの夏の日は一瞬で目の前を通り過ぎていった。私がたまたまつけていたテレビに彼らは映し出され、彼らもたまたまそこにいた。あの夏の日も、たまたま私の前を通りかかっただけなのだろう。あの夏の日、すっぱだかの青空、そして、たまたまいただけの私。

 書き終わる。群像はいつの間にか消えている。
 ふとチエコのことを思い出すコータロー。
 書き終えたことを伝えようとする。
 
コータロー  終わ(り)っ……

 チエコはいない。

 靴ばかりが、舞台上にただ残っている。
 靴、靴、靴。みな出口のほうをむいている。
 少しの間呆然とそれを眺めている。
 
コータロー  ……。終わりか。

 客席に銃を持った男が立っているのに気づく。

 おもむろに空を見上げる。
 
コータロー  屋上は、地面よりも空に近いだろうか。

 終わり。暗転。
 銃声数発。
 音楽。
 










(脚注)


*1 ツァラ「ダダ宣言1918」より一部抜粋・引用
*2 高村光太郎「道程」
*3 ちなみに正解は、"A supernova."
*4 初演時では、男1・2、女1が何度も靴を脱ぎ続けた。





初演/2002.9.14&15 計四回
   東京藝術大学音楽学部構内
   大学会館内 大集会室にて

Cast 男1  増田雅弘(時間の交差点)
   男2  本谷建治(T-THEATER)
   演出  原口昇平
   ヒトリ 富山優子
   女1  高橋彩乃

Staff 脚本・演出   原口昇平
   舞台監督・制作 富山優子
   小道具・広告  高橋彩乃
   音響      亀岡夏海(時間の交差点)
   照明      高橋悠之輔(時間の交差点)
   会場整理    柳原和音(時間の交差点)

Thanks 小野慶介
    時間の交差点スタッフのみなさん







 この脚本は  来なかった夏の日と、
 赤信号のなかの小人のために書かれた。