『ふたたび殺戮の時代』のためのスケッチ Ⅲ




2019/2/12
忙しい日々の合間に、自問するばかりだ。分娩室にて、一体どんなタイミングでシュコーシュコー言いながらI'm your father...≠ニつぶやけば、最大のウケが取れるだろう? ベイビーがほんぎゃーほんぎゃーと泣き出したら、きっともう誰も私のつぶやきなど気にしまい。何しろ子の一生に一度しかない機会であるからぜひとも最大の成果を挙げたい。妻にそう相談すると、「見える、見えるよ! 助産師さんはもちろん愛する妻にも無視された哀しみから闇落ちする父の姿が!」と言われた。ダークサイドの力を思い知るがいい!



「去りゆくときには すべてをあげよう
 わたしのものではなかった空を わたしの風として」
「たったひとりのあなたに 吹くものとして」
「わたしの持たなかった孤独を あなたにあげよう」
 
「生まれ来たあとでは すべてを奪おう
 あなたのものであったひとを わたしの父として」
「ひとりになれないあなたに 吸いつくものとして」
「あなたの抱えた孤独を あなたから奪おう」
 
「水面をまなざすあなたを 背後から包み」
「そこに映る影はあなただと 耳元でささやこう
 そののちあなたの見るものすべてから」
 
「わたしのまなざしがあなたに届くだろう
 去りゆくときには すべてを奪い」
「生まれ来たあとでは すべてをあげよう」


2019/3/18
生後十一カ月の三つ子の次男を床にたたきつけて死亡させたという母親が、傷害致死で懲役三年六カ月の実刑判決を言い渡された。育児を一人で抱え込んでいた彼女に、実刑判決はあんまりだ。おとな一人だけで新生児一人だけを育てる場合でもすでにかなりむりがあるのに、出産直後のズタボロの状態の母一人だけで新生児三人を世話するなど、発狂しないほうが逆におかしい。助けられなかったのはどう考えても社会の落ち度だ。



ゆりかごになると
おまえの落ちていく世界が
からだのなかに生まれ

果てがさらに広がるほど
重たくなっていく
おまえは手をだらりと垂れて

分かるよ 泣き疲れたおまえのかなしみ
眠るときはひとり きっと最期まで
それがおまえに唯一与えられた祝福だとしても

おまえは蝶になり なるべく遠くへ飛ぶ
だがわたしは隣を行くことができない
わたしは世界そのものだから


2019/4/2
「令和」は素直に読むと「美しい国、日本」という意味。「令」は、漢字二字の単語で二字目にあるときは「おきて」「上から下への言いつけ」を意味するが(法令、軍令、命令、指令など)、「令和」のように一字目にあるときは「美しい」「清らかな」「よい」を意味する(令月、令室、令嬢、令名、令聞、令色など)。「和」は、中国から見た東の辺境または蛮族「倭」と同じ音に、よい意味の字を当て直した呼称。要するに、安倍晋三が二〇〇六年総裁選から使ってきたスローガンが、新しい元号になる。政府発表の意味以外で受け取るべきではないという主張をする人については、人生で何度か大きな詐欺に遭っているのではないかと心配になる。だが私は不親切だから、あなたはだまされていると教えてあげたりはしない。



なきごえだ 聞こえないか
そう おまえもみどりごのころ
夢のあと世界に耐えきれず
母を探したろう 思い出せないか

またなきごえだ 聞こえないか
そう おまえもおとなになり
目覚めてもなかずにいられるようになって
何を失ったろう 思い出せるか

決して帰らないものを待ち
決して行かないところを思い描き
決して見たことのない壁の向こうを見通しながら

帰るべきところを探してさまよい
見つからずともいつのまにか帰りついてしまうと知った
ああおまえ いきもののうたごえだ 思い出したか


2019/6/1
ミーティングで、最後あたりに震災の記憶の話が出た。そういえば私の生業は震災から始まったのだ。二〇一一年三月、大学院の研究発表に向けて資料を作っていた。あの日、形容できないほど凄まじい揺れが来て、舞い上がった埃が午後の陽光に照らされて室内を異常に輝かせ、まさか東京が核攻撃にでもあったのかという疑いが脳裏を一瞬よぎった。外へ出て下町の混乱を走り抜け、公衆電話を見つけて、のちに妻になる人と実家へ電話をかけた。十七時ごろラジオをつけると「仙台青葉区で数百の遺体」と聞いて震撼し、阪神大震災の経験から被害者の数字がはるかに増えることを直感して、あまりの衝撃にひとり慟哭した。研究発表は当然中止になった。困っている人に迷惑をかけたくなかったので、電気を消してしばらく水道水だけで生き延びていた。四月、震災にともなう原発事故の余波で疫学系の翻訳者がみな忙殺されて人手不足になっていたとき、私にとって初めての翻訳案件(疫学)が舞い込んできた。自宅から出ることなく仕事をすることができた。翻訳が多くの女性の非正規労働によって成り立っている仕事であることはまだ知らなかった。



けれども

輝かしい沈黙を分光していくきみたちの瞳の内奥へ

今日死んだ子どものうえに広がる青空が砕け散れば

傷つけられた網膜に残る紅い風船を捕まえるために

同じように動く限りただ一心に手を伸ばしただろう


2019/8/6
「『表現の不自由』展」展示中止問題は今すぐアクションを起こさなければならない緊急事態なのに、朝から晩まで仕事と家事と子育てで少しも手が空かない。子は血便が続いている。複数の医者に何度も見せたが原因不明、超音波でもレントゲンでも異常が認められないため原因究明には内視鏡検査しかないが、それは全身麻酔が必要だからできれば乳児にやりたくないというわけで、とりあえず血便の量が増えるとすぐさま病院に飛んでいっている。加えて三カ月以降、哺乳びんから全く飲んでくれなくなったので、完全母乳育児。妻はもう、へとへとだ。私は五月なかばからずっと在宅勤務をしていて、子どものいる部屋のとなりで耳をそばだてつつひたすら仕事をし、手が足りなそうなときに飛び込んでいく。おむつを替えたり、買い出しにいったり、掃除洗濯をしたり、メシを用意したり。家計簿つけるのも。子の世話はとてもやりがいがあるが、やはり、父もちゃんと制度的に保障された育休がほしい。特別休暇二日ではぜんぜん足りない。在宅勤務を認める会社だから何とかなっているけれど、この状態は心身ともに結構疲弊するし、キャリアに響くのではという不安はぬぐえない。



わたしが母になれるなら
そのときこの乳房は どうか
どこの国のことばでも
発音できない母音のかたちをしてほしい
 
わたしが父になれるなら
そのときこの腕は どうか
驚かせたりちからづけたりする
どこからも見える感嘆符のかたちをしてほしい

この胸ははるかな未来のために息のつける読点になってほしい
わたしがこいびとになれるなら
果てない空色をした零のようにこの眼はひらいてほしい

わたしが子どもになれるなら そう
答えのない疑問符の反りで愛撫してほしいこの手は
もしも もしも わたしがわたしになれるなら


2019/9/28
私のことをこれまで何度か軽蔑的な意味で「学者」と呼んでいた上司が昨日、私を嘲笑的な意味で「主婦」と呼んだので、転職を決意した。安月給をいただきつつ博士号持ちのリサーチ力と文章構成力で前例なしの分野における新規顧客開拓に貢献した私を評価しないのは構わないが、学者も主婦もなめんなよ。


2019/11/16
進歩的な変革のかげで、その意義を無化するもう一つの変革が同時に行われていることがある。例えば男女雇用機会均等法と労働者派遣法が同じ一九八六年に施行されたことは偶然ではない。資本家はフェミニストの訴えに譲歩するかのように見せかけて、依然として安い労働力を確保しながら団体交渉阻止のために労働者間に分断を設けておく必要があったので、労働者を性別で差別するのではなく正規か非正規かで差別することにしたのだ。そして親世代に根強く残る性差別のせいで女子の大学進学率は男子と同等までには上がらなかったので、就職氷河期時代には就職市場で勝ち上がれない多くの女性が非正規または低賃金の仕事を担っていくことになった。差別は解消されたかのようで、実際には残りながら不明瞭に複雑化した。階級はなくならず、再編成を繰り返された。


2019/11/26
セックスできない。愛撫して触れ合うということすら。わかっている、私たちはそれどころではない。幸い子の血便は九月以来ほとんどなくなった。それはリンパ濾胞増殖症であり、生後半年から一年ほどで出血はみられなくなると予測した四人目の医師がおそらく正しい。しかし不安材料がひとつ減っただけだ。相変わらず子は母乳以外飲もうとせず、離乳食もほとんど進んで食べようとせず、妻は数時間おきに子の口に乳を含ませている。子は母子手帳の成長曲線からいって平均よりずっと大きく成長しているので、本当によく飲む。母乳は血液から作られるから、妻はさかんに血を作り出してはこの平均よりはるかに重い子を抱きながら血を失い続けている。妻の体力は限界に近づいている。だから私は妻の疲れを癒そうとして、ときどき肩や背中をマッサージしている。それでも欲望を抑えきれず繰り返し卑屈に口に出して、妻にその気がないのに決然として今晩しようと言わせてしまった。私はたまらなく辛い気持ちになった。妻が望んでいないことを妻に言わせるように圧力をかけてしまったのだ。だから私はその夜、私のとなりに横たわった妻の髪を撫でて、何もしなくていいから最近辛いと感じていることを教えてとささやいた。妻は最初きょとんとしていたがしばらくすると疲労を訴えたので、私はマッサージをした。「いやだ」と言われないからといって「いい」わけではない。「いやだ」と言わせないようにしてはならない。「いい」と言われたからといって、その「いい」がよくない「いい」である可能性を考えなければならない。当たり前のことを今頃になって反芻するとは思っていなかった。



一羽の鳥を思い描こうとすれば
空が広がるだけ
誰であれこの無限に耐えきれない
だからうたったのだ おまえは

砂漠をゆく影を塗ろうとすれば
旋律が流れ出すだけ
誰ももとの歌詞を思い出せない
だからさらわれゆく砂粒のように

ただ思いつく言葉を乗せれば
愛している
そうくりかえすだけ

くりかえすほどに 手をのばして
風の傷口をふさごうとすれば 見えない鳥は
愛しているよ 愛しているよとくりかえすだけ


2019/12/23
私の転職が決まったとたん、職場でチームビルディングなる名目で飲み会が開かれることになった。ひとり毎月五千円まで会社から金が出るという。言いたいことは三つある。一、フリーランスに還元しろ。どう考えても今の状態は搾取だ。フリーランスが幸せに働けない限り、納品物の品質は上がるはずがないのだから、社員の幸せもありえない。二、日常業務のシステムを変えろ。全員個人プレー状態を作り出している今の体制が続く限り、助け合いや信頼関係に基づくチームワークは生まれようがない。社員に飲ませても尿になって排泄されるだけだ。三、上層部はこれ以上の人材流出を防ぎたいなら中間管理職ではなくその部下たちの声をじかに聴け。そうすれば現場が感じている苦しみと、中間管理職が報告している問題の間に、ギャップがあることがわかるだろう。中間管理職はとりあえず今の状況を乗り切ることしか考えていないので、自分には解決の糸口が見えない問題を上層部に報告したがらない。


2019/12/26
父親になる前は、フェミニズムは私にとって選択肢だった。誰よりもまず、パートナーとともに歩む自分自身のために選択したほうがよい正義だった。逆に言えば「降りる」こともできる何かだった。だが父親になると、フェミニズムが指摘するさまざまな問題は圧倒的現実として本当に自分自身の視界の至るところに現象しており、その敵は私自身の個人的内面から、家庭、職場、社会、市場、国家、世界までのすべてのレベルをどこにも逃げ場なく支配していることが改めて明らかになった。とくに家事、出産、育児のことを考えると、そうした無賃労働を女性に押し付けている限り労働者男性は資本家男性による搾取に加担しているのだということがますますはっきり分かってきた。「降りる」ことができるものだという認識は間違っていたのであり、降りたと思い込んだとしても実際には現実から目を背けることにしかならないのだ。
なぜ学び、教えるのか? 自分が誰の奴隷にもならず、誰も自分の奴隷にしないためだ。
これが二〇代後半からの私の信条だ。その信条に従って、私はmarxist feminismについて学び始めることにした。



雨ではない場所を
作者が思うと
子どもたちはいっせいに軒下から駆け出した
手をはためかせ
ランドセルに追いつかれないように速度を上げながら
濡れた赤や黄色を淡くエコーさせた
誰の声でもなかった ただいのちが響きわたった
ここでわたしは何をいいたかったのか
百字以内で記せ
鉛筆を転がしかけたが選択問題ではなかった
いつからか
いくら考えても答えのわからない空欄はすべて
肯定で埋めることにしていた
YES
それからあとは試験終了まで
窓の外を見つめて
雨ではない場所を思いつづけた


2020/1/18
最終出社まで一週間。今日も仕事の引き継ぎのために後任の翻訳者の訳文を校正していた。翻訳対象は、ジェンダーフルイディティを擁護するファッションブランドが新しいメンズコレクションを発表したことに関する記事。当然、コレクションのテーマはマスキュリニティを多元化すること。メンズウェアをまとってランウェイを闊歩するモデルたちの中に、男性ばかりでなく女性も、どっちかわからない人もいるうえに、ときどきこれはどう見てもウィメンズだよねっていうウェアも登場する。これはフェミニズムの視点に立つことが必須だなと思って後任者の訳文を見ると、パースペクティブがぜんぜん見えない。きわめつけは、Aという事実の指摘の文の訳がおかしいだけではなくて、接続詞whileが置かれてからBという表現の解説の文が続くのだが、それが対比のwhileであることが訳文に表現されていない。AとBはフェミニズムの視点に立つといわばイエローとパープルに見えるが、後任者にはオレンジとレッドくらいに見えているらしい。そこでフェミニズムについて尋ねた。「そういう考えを持つことは自由だと思います」と彼女は答えた。「かなり距離がある言い方ですね」と私は返した。「知らなくてもかまいません。私もよくは知りません。でも関心はありませんか。共感するところはありませんか」彼女は首を横に振った。「友だちの中にもそういうことを話す人はいません」私は少し考えてから言った。「いいでしょう、もちろんあなた自身のお考えはそれでかまいません。しかし私たちは翻訳者なので、いったんは翻訳対象の人そのものの側に立たなければいけません。例えば、言葉を話している人がI≠ワたはwe≠ニ言ったら、その通訳者は『彼女は』『彼女たちは』とは言わずに自分から離れてその人になりかわり『私は』『私たちは』と言うでしょう。それと同じ、あるいは俳優と同じです。翻訳者はいわば『このライターが日本語を書くことができたら、こう書いていたのではないか』と考えながら、そのライターになりかわって日本語文を書くんです。その人になりかわるからには、たとえ内容が自分自身には同意できないことであっても、バックグラウンドを知っておくべきです。専門知識や経験はそのために不可欠ですが、それ以上に根本的に必要なのは関心または共感を持つことです。完全な他人ごとにはできないし、かといって完全な自分ごとにできると思い込むべきでもない。翻訳者がその間に立てず、どちらか片側にしか立てないなら、ライターが言いたいことは理解できないか、ライターから話しかけられている人がどう思うかが分からないため、メッセージは伝えられないでしょう。だから、いえ、まだ知らなくていい、でも関心を持ってください」彼女はしばらくぽかんとしてから言った。「原口さんはこの最新コレクションの記事に共感するんですか?」「はい、例えば私はメンズスカートを履いてみたいです」「ええっ?!」この目はよく見たことがある。人が均質な集団の中に危険な異分子を発見するときの目だ。単に私がいつもユニクロを着ているから、こんなダサいやつがと思われただけではない。「私はこんな体型だしお金もないから履かないだけです」それから私が話したことのどれくらいが彼女の記憶にとどまっただろうか。しかし四の五の言っていられない。あと一週間で彼女にスタートラインへ立ってもらわなければならない。それが私自身のスタートラインでもある。





(二〇一九年二月十二日〜二〇二〇年八月二十八日)