[訳者註:サングイネーティは、1976年から81年までジェノヴァ市議会員、また1979年から83年まで下院議員をつとめた経験を持つ。2007年2月7日、彼はジェノヴァ市長選挙に、左派連合の第一候補として立った。その選挙では、彼はイタリア共産党、共産主義者再建党、左派連合の支持のもと、14%の支持率を得るにとどまった。
 以下の記事はこの投票の一月前、2007年1月6日『ラ・スタンパ』紙に掲載されたインタヴュー。インタヴュアーはヤコポ・ヤコボーニ。]

 
 
そして詩人は「格差への憎しみがわれわれを救う」と言った
 

――先生、状況は悪くなっています。
 
サングイネーティ たぶん以前はもっとうまく説明できたのだが、そうだね、階級憎悪が必要だよ。
 
――[以前は、]あなたが[選挙活動で]ウンベルト・エーコとさえ関係なくやってこられたことはありませんでした。
 
サングイネーティ いやいや、彼を枢機卿と呼んだのは冗談だよ。彼と政治について話すのはしばらく前からやめている。最後にわれわれが会ったのは、だいたい一年前だ。彼は私に、労働者たちを解放したドン・ボスコへの賛辞を書いてほしがっていた。私は彼にこう言ってやったよ、ドン・ボスコのようなひとびとは何もやっていない、せいぜい産業によって勃興してきた世界にありのままのものを与えたくらいだとね。
 
――「階級憎悪」についてもっとよく説明できただろうにと先ほどおっしゃってましたね。
 
サングイネーティ 自分で考えることのできる年齢になってから私は、マルクスを根本に据えた理論について、ずっと信頼を置いてきた。私の見る限り、左派と呼ばれる立場をとっているとしても誰もがそうした理論を信じているとは限らない。違いは、格差に対する憎しみの語り方にある。この用語はほぼベンヤミンのテクストからの引用なんだ。
 
――先生、そんな引用はなさらないほうがよろしいでしょう。ベンヤミンが誰かということさえ知らないひとびとが山ほどいるのですから。
 
サングイネーティ きっと君が正しい、説明は引用よりずっと意味のわからないものになりかねないからね。でもあらためて繰り返しておこう。ヴァルター・ベンヤミンはかつて、――ほぼ彼の言ったことそのままだと思うんだけれどね、――「階級憎悪の哲学的価値」について語っていた。この概念に過激派じみたところはまったくない、まあ私にとって大事なのはそのことじゃない。ベンヤミンはこんなふうに嘆いていた、イタリアではアントニオ・グラムシが少し似たようなことを考えていたのだが――「左派」のやらなければならないことは未来の幸福ではなく、被抑圧階級という名によって、過去や現在の不正に対して要求していくことなのだ、という考え方がね、進歩という理念が機械的かつはっきりと強調されるとき、失われてしまうというんだ。憎悪は原動力のひとつなんだ。

――しかし今日プロレタリアートとは誰でしょうか。
 
サングイネーティ みんなだよ、君も私もね。現実的な問題は、人口の四分の三が[生産手段を持たずに労働賃金のみで生活する]プロレタリアートだというのに、多くの者がそれを知らないことだ。私のような小さな史的唯物論者が、知識を得る手助けができればいいんだがね……。
 
――ジェノヴァの市民には、あなたの問題提起はいわば非現実的だと思われているようです。
 
サングイネーティ 非現実的というのはニーチェ的な意味で? *1
 
――まさにその意味で。
 
サングイネーティ 私たちは相互に関係しあう世界に住んでいる。小さな問題が形而上的な世界によって決まることもあるし、局所的な問題がそこ以外の世界全体によって変わることもある。
 
――あなたの街の市長のところへイスラム教徒がやってきて、街のなかにモスクを作るように求めてきたら、市長は何というでしょうか。

サングイネーティ 文明闘争やら、カトリック十全主義[=カトリックの理念が社会全体を支配すべきだという主義]との対決というような空想は、ごめんこうむるよ。しかし憲法にもあるように、地方[行政の]自治体はこうした要求にも応えていかなければならない、これは義務だ。こうしたやり方によってのみ、[ひとは、いや少なくとも]私はその自治体に自制と責任管理を断固として求めることが許されるんだ。

――公共の安全についてボローニャのコッフェラーティのような政策をとるおつもりは?

サングイネーティ 私は彼と違って都市は自らを開放しなければならないと考えている。それに私は古い共産主義者で、ベルリングエル主義者*2 だし、トリアッティ主義者*3 だ。だから秩序や品位、安全を重んじる。夜、翌朝働きに行く人の家の[地面の]下で、午前4時に騒音を立てることは許されない。

――ベルリングエルの後継者たち、ダレーマにファッシーノにヴェルトローニらとあなたは論争したことがありますか。

サングイネーティ ダレーマとならある、コソヴォ問題でね。私はあれは違憲の戦争だと見なしている。互いに意見を聞く気のない者同士の会話だった。プローディとならもうすこしうまくいきそうなものだが。

――そのことについてどういうことが言われましたか。

サングイネーティ 柔軟性をもって彼にはきっぱりと言った、私は反対だとね。彼はさえぎった、いくらかの要求は聴くに値するものであることを認めながら。彼はカトリック信徒だ。だからある種のことについては期待してはいけないことは、私にはわかっている。しかしベルリングエル主義者として、ダレーマやヴェルトリーニには、右派政党以上のものを期待したい。とくに右派政党がきっと最後までやらないだろうことをね。



La Stampa.it 6/1/2007


訳註

*1 ニーチェ、遺稿覚書「真理と誤謬の価値」より:
 プラトニズムは、「現実」という概念を転覆させて次のように主張する。「君たちが現実と思っているのは、一つの誤謬である。われわれはイデアに近づけば近づくほど、それだけいっそう真理に近づくのだ」おわかりだろうか。これがキリスト教に採用されたころから、この驚くべき事柄の真相を私たちは見落としたのだ。プラトンは根本的に、自ら芸人として存在よりも仮象を好んだのである。つまり真理よりも嘘と空想に優先権を与えたのだ! 目の前にあるものよりも非現実的なものに!

*2 イタリア共産党第5代書記長エンリコ・ベルリングエルは、急進派を抑えてプロレタリア独裁という目標を放棄し、またソ連のアフガン侵攻を非難することでイタリア共産党をソ連離れさせ、ユーロコミュニズム路線を押し進めた。

*3 パルミーロ・トリアッティはイタリア共産党の指導者。1944年に亡命先から帰国すると、「暴力革命否定」「議会制民主主義尊重」へイタリア共産党を転換させた。