典拠:Tchaikowsky, Peter. Musikalische Erinnerungen und Feuilletons, in deutscher Uebersetzung herausgegen von herinrich Stümcke, Berlin: Harmonie, 1899, S. 53-55.
訳者名:原口昇平(連絡先
最終更新日:2020年8月29日  ※引用の際には典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記
 
(ブゾーニとズガンバーティの脱イタリア性/ドイツ性に関する指摘)           ピョートル・チャイコフスキー



 ……ニキシュ氏はドイツ人化したハンガリー人だ。私の思うに、彼はこのような芸術の唯一の例ではない。他方で確実に、音楽家のなかで次のような人物は他に誰もいない。すなわち、イタリアのフィレンツェに生まれ、幼年期と少年時代をそこで過ごしていながら、美しい南方に固有の特徴を相当程度失い(それはもっぱら音楽的感覚において聞き取られる)、これほどまったく完璧にドイツの語法や手法を、何よりその音楽の技法と様式を受け入れた、才能あふれるフェッルッチョ・ブゾーニのような人物は。私はある機会を通じて彼と知り合うことができた。ブゾーニ氏は、少年時代をドイツで過ごし、そこで名門の音楽学校を終了し、素晴らしい技巧を備えたピアニスト兼作曲家への道を着々と歩んできた。私は、ブゾーニが最近作曲した4重奏曲を、ペトリ氏とその仲間3名による優れた演奏で聴いた。その曲はまさにブゾーニ氏の大いなる才能と並外れて真摯な姿勢を証言するものだった。私たちの個人的な出会いのおかげで私は確信することができたのだ。すなわち、この若い作曲家が強い個性、きらりと光る知性、気高い野心を抱いているということを、またそれがゆえに疑いなく、ひとはいまに彼について大いに語り合うようになるだろうということを。その4重奏曲を聴いて、その曲の独創的なリズムと和声の組み合わせをきわめて深く味わったとき、私は残念に感じた。ブゾーニ氏が、生まれつき備えていた力を捨てて、何とかして自分をドイツ人に見せるように努力しているからだ。同様の例が、もっとも若い世代では、もうひとりのイタリア人ズガンバーティにも見いだされる。ふたりとも自らがイタリア人であることを恥じ、自らの作品のなかに旋律の気配があらわれて高尚なドイツの芸術を「下降」させてしまうのではないかと恐れているのだ。あわれな幻だ!