原典:Metastasio, Pietro. Opere, Tomo. VI. Paris: Herissant, 1780, pp. 177-202.
訳者名:原口昇平(連絡先
最終更新日:2015年 1月18日  ※引用の際 典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記


ピエトロ・メタスタージオ (1698-1782)

アベルの死(1732)




宗教劇。神聖ローマ皇帝カール6世〔1685年-1740年、在位1711年-1740年〕の命を受けてヴェネツィアにおいて執筆された。1732年の聖週〔復活祭前の1週間〕、帝国教会においてロイター作曲にて初演された。

読者諸氏への口上
新約聖書と旧約聖書が明らかに関連をもって対応していることは今日少なからず知られています。またあらゆる信者に知られている通り、新約と旧約は、例えば聖像そのものと聖像の影、恩恵と約束、イエス・キリストそのひととイエス・キリストの似姿くらいに、それほど異なるものではありません。かつての教父たちは、他のどの部分よりも、この聖劇の題材となったアベルの死のなかにこそ、救世主の明白な姿をいっそうはっきりと見出しています。まことに太古の昔、天地開闢から早くも、神の秘蹟を準備し、表し、約束している神の永遠の意志は何を望んでいるのでしょうか。そのことを考察してみる機会は、今日も称えられている神の秘蹟の偉大さを広めるために、いくばくかの役に立つことでしょう。
 
登場人物
アダム
イ ヴ
カイン
アベル
天 使 *
コロス

*この聖劇で天使と呼ばれるものは聖書においては主そのものから遣わされているが、敬意をもって次の見解にいっそう従うべきである。すなわち、神の顕現、啓示、啓発はすべて、ちょうど自然の法則、文字、美の原理のなかにみられるのと同様に、天使という手段を通じて人間のもとへ届けられるのだ、という見解である。トマス・アクィナス『ヘブライ人への手紙注解』第11章第1講における偽ディオニシウス・アレオパギタ『天上位階論』第4章の引用を参照。
 


第1部
 
アベル、その後カイン。

アベル おお神よ、あなたの手によって
    造られたすべてのものの中にいらっしゃる
    称賛されるべき全能の神よ! あなたの御名をとこしえに
    たたえ、生きている限り、供物を
    日ごとにあらためて捧げます。来たれ、おおひとびとよ、
    私とともに主を称えよ。主の慈愛を
    疑いうる者などありましょうか。主は善良なるアベルの
    捧げものを喜んでお認めになった。いったい私は何者でありましょう
    主よ、あなたの御前で。ひとの子とは
    いったい何でありましょう、どうしてあなたはそれほどひとを気遣うのですか、
    どうしてそれほどの善意によってひとに知られているのですか。
 
カイン 弟よ、なぜそれほど愉快そうなのだ。
    どんな思いがけないよろこびが
    お前の顔を涙とほほえみとでぐしゃぐしゃにしてしまうのだ。
 
アベル おいで、おお愛する兄さん、
    私の幸せを知ってくれ。あなたと分かち合わなければ
    私の幸せは完全なものとはならなかった。私の手による
    捧げものを神が喜んでくださったのだ。
 
カイン                   アベルはよくもここまで
    言い募るものだ。むなしい思いこみでしか
    ないだろうのにな。
 
アベル          ああ主の御声は
    あまりにもはっきりとしている。主の指示なくしては
    万物の素は語りもしないのだ。〔兄さん、〕私の話を聞いてくれ。
    私の飼っている群れのなかでもとびきりの羊と、いちばん肥えた子羊とを、
    万物を授けたもうた主へ
    私はつい先ほど感謝しながら生贄として捧げたのだ。
    主よ、と私は言った、私の労働の賜物のなかでも
    とびきりのものばかりでなく、とびきりの無垢な思い、とびきりの情愛をも
    私は主に捧げましょう、
    善良な主よ、ご覧ください、と。
    なおも私はつづけたかったが、けれども思いがけない光景のせいで
    私の口元で
    言葉は声になりきらず凍りついてしまった。あなたは見たことがあるか、
    澄み切った夜のあいだに
    星がいくらか落ちるのを。そんなふうに輝く炎が
    しかし日が出ているにも拘わらず
    天から落ちるのが見えたのだ、その炎は
    平原を翳らせる稲妻のように、
    生贄を包み、燃やし、灰にして、消え去った。
    そして私の心のなかに
    驚きと喜び、希望と畏れを残していったのだ。
 
カイン お前はおかしなことを語るものだな! お前の信心を
    疑いたくはないんだがな。俺も
    神へ生贄を捧げたが、お前の自慢するような
    そんな珍しい奇跡など見はしなかったよ。おお母さん、
    ちょうどよいところへ来た。ただならぬ驚異について
    アベルが俺に語ってくれたのだ。母さん、アベルの話を聞いて、
    まことのことと思われるかどうか俺に聞かせてくれ。
 
  イヴと前場のひとびと。
 
イ ヴ                         疑ってもむだよ、
    私はそれを見たのだから。
 
カイン             何を?
 
イ ヴ                清き
    ささげものと、それを焼いた
    天の炎とをね。
 
カイン        それではまことなのか。
 

イ ヴ                   そのような
    あらぬ疑いなど消し去りなさい、
    あなたにも確信できるはずよ。
 
カイン               (確信とは残酷な!)
 
イ ヴ おお息子たちよ、過ぎたる喜びによって
    こころをとらわれてはなりません。お前たちは天に
    いちばんの贈り物をした。自らの営みへ
    それぞれ戻りなさい。カインは畑へ、
    アベルは羊へ。アダムから託された仕事を
    お前たちがしているうちは、お前たちは神から
    少しも遠ざかりはしないだろう。神はまごころをお求めになる。
    そして自らのなすべきことをなす者を助けてくださる。
 
アベル これ以上ありがたいご命令を
    いただけはしまい。母さん、私の忠実な羊たちが
    どれほど私にとって愛おしいかあなたはご存じだ。
    あなたはご存じだ、どれほど苦労し、
    どれほどの汗を私が流しているのか、そして私がそれを感じていないことも。
 
      私はあの善良な羊飼い、
       羊の群れをとても大切にするがゆえに
       羊たちもまた自らの救い主のために
       自らをまた捧げるのだ。
      私は一頭ずつ見分けられるのだ
       愛おしい子羊たちを、
       だからあの羊たちもまた認めているのだ
       愛情ある羊飼いを。
 
 イヴとカイン。
 
イ ヴ 何と忌まわしく思いがけない悩みが、おおカイン、
    お前の心中を満たしているの。
    何も言わないの! 視線を地面へ
    落としたままでいるなんて! あの翳のある
    青ざめた恐ろしい顔つきや、
    震えながらため息をつく唇が
    悲しみや怒りをはっきりと表している。
    何を深く悲しんでいるの。何を考えているの。
 
カイン                      どうして
    喜ぶ理由が俺にあるものか。
 
イ ヴ               ではお前は弟があれほどの
    栄光を授かったのに喜ぶ理由はないというの。
 
カイン                      ああ! その栄光は
    俺とってにはむごい苦しみだ、天の恩恵だろうが贈り物であろうが。
 
イ ヴ あの恩恵は他の誰をも愉快にさせるけれども、
    それゆえにお前を煩わせるというの。他人の幸いを
    恐れるとはお前は何と邪なの。ああひとの敵である
    罪とはまさしくこうした
    不敬な苦しみ、これこそが魂と魂との
    甘やかな結びつきを引き離し、
    真理を覆い隠し、隣人愛を殺してしまう。
    こんな不幸の芽など
    根こそぎたってしまいなさい。ああお前は知らないのだ、
    それがどれほど多くの毒々しい枝へと分かれることになるか。愛する息子よ、
    他の誰でもなくお前のことについて
    私はお前に懸命に話しているの。ああ、魂のなかに
    お前がこんな疫病を宿している限り、いかなるときも
    弟のなかに、自らを苦しめる理由を
    次々と見出してしまうだろう。いずれ
    お前は弟をねたむだろう、その弟はお前の嫉妬にさえ
    苦しむにちがいない。本来のお前自身に戻りなさい、
    戻りなさい、息子よ。そうすれば私たちの子孫が
    そのはじまりからすでに
    かくも罪深い倣いを持つことはなくなるはず。
 
      あの小川は遥かな旅をするうちに
       どんなものへ変わるだろうか、
       水源近くにおいてさえ
       こんなによどんでいるならば。
      あわれな私の子どもたちよ!
       ああ、なんとはっきりと見えることだろう
       今日のあなたたちのありさまのなかに
       未来のあなたたちのありさまが。
 
 カイン独白。   
    
カイン 俺は弟の
    手柄とそのごほうびに
    ばかみたいに苦しむことになるのか! あいつの栄光は
    俺にとっては侮辱だ。あいつの栄光を汚す
    理屈を考えれば考えるほど俺は、それを称える
    理由しか見けられない。敵をけなせばけなすほど
    俺は敵に利してしまうのだ。あいつが虐げられるよう切に願えば
    すぐさまあいつがますます崇高なものに見えてくる。
    俺は自らのために自らの苦しみを強くする鍛冶職人というわけだ。
 
      俺は自らの苦悩を煽りたてるのだ
       アベルが幸いであるのを思い返すたびに。
       苛立ち、怒りに震え、身を貫かれたような思いをする。
       あいつが憎い、理由など知ったことか。
      あいつを憎む口実を探しているが、
       そんなものは見つからない。
       俺がそれでもあいつを軽蔑し、憎しみを新たにするのは、
       憎まれてしかるべき理由があいつにないからだ。
 
 天使とカイン。
 
天 使 この怒りはなんたることだ。どうしてお前は顔を
    うつむけているのだ、おおカインよ。話せ、答えよ、
    自らの過ちを物語り
    自らについて弁明せよ。ひとのことばは自らを非難することから
    正しくなりはじめるのだ。罪を告白すること、
    罪を認めること、罪を恥じることこそ
    悔悛の一部となるのだ。お前はまだわかっていないようだが、
    よく働けばひょっとすると
    いずれお前はほうびを授かるかもしれないぞ。
 
カイン しかし過ちを犯したならばどうだ。
 
天 使                 そのときは、
    あわれ、お前の眼の前に、お前の罪が
    いつも浮かび上がって見えるようになる。罪を犯した者は
    一瞬たりとも安らぎのなかで生きることはない。
    たとえあらゆる他人に自らの過ちを
    隠したままでいようとも、その者は、自らのそばに
    辛辣な告発者があらわれはしないかと怯え、恐ろしくなるのだ
    明らかなことも、疑わしいことも、
    夜が暗くなることも、
    夜明けのひかりがあらわれることも、
    自らの罪を知る者のことも、それを知らない者のことも。
    目覚めているときは、魂が永遠の嵐のなかにいるかのように感じる。
    眠っているときは、あらゆる形から自らの迫害者を見出すことになる。
 
カイン では……
 
天 使      お前の言わんとすることはわかっている。 
    いや、その考えは正しくはない。というのも、お前の罪はいつも
    お前しだいだからだ。お前は思いのままに
    罪を犯さずにいることができる。お前はお前自身の
    主人だ。かつてはお前もこの主人を持っていたのだ
    そうして自分の過ちについて言い訳をせずにいようとしたではないか。
 
      罪なき星々のせいにして、
       宿命のせいにしてお前は自らを正しいと言い募る。
       だが〔そのとき〕お前は自らの自由を
       みだりに悪用しているのだと知れ。
      そしてこの実在しない鎖のせいで
       お前は神からもたらされたものを見ようとしないのだ、
       その授かりものは、神を敬わない輩にとっては
       苦悩となってしまうからだ。
 
 カイン、のちにアベル。
 
カイン アベルに栄光を授けて俺を侮辱するだけでは
    足りていなかったのか。あいつのせいでこのような
    むごい非難に
    俺は苦しまねばならないのか。それにしても羊小屋から
    にっくき弟は早くも
    羊の群れを連れて出てきている。あいつが魂から喜んでいるのが
    誰の目にとってもなんと透けて見えることだろうか、
    そしてなんと勝ち誇った顔をしていることか!
    相見えることなどなければよいのに。あいつを見ただけでも
    あいつは俺にとって憎たらしくなる。あいつの行いは
    俺のとは違いすぎる。あいつは俺を非難するのだ、
    俺の過ちやら、
    あいつが得て俺が失った栄光やらについては何も言わずに。
 
アベル 兄さん、そんなに急いでどちらへ? 私がやってくるや否や
    私から逃げるのはどうして?
 
カイン               天よりひいきされた者に
    近づく資格は
    俺にはないのだよ。
 
アベル           これは初耳、
    ついぞ聞いたことのなかったお話。ああ私に
    こんな疑いを抱かせないでくれ。
 
カイン                誰でもお前の栄光を知っている。
    お前はそれを語り、俺はそれを理解した。いつでも
    それをあらためて自慢するつもりか。
 
アベル 私が自慢するって! 何について? いったい私が持っているというのか
    神からもたらされるのでないものを? 私が何を自慢するというのか、
    すべては神の贈り物なのに。
 
カイン              それではお前だけが神からの授かりものに感謝し
    神に生贄を捧げたということだ、なぜなら神は
    お前の供物を喜んで受けたが、俺のはそうなさらなかったのだから。
 
アベル                         何ということを!
    兄さん、何ということを言うのだ! それは以前の罪よりも
    重い罪だ。あなたの慈悲深き主は
    あなたの過ちについてお知らせくださったのだ、
    私の捧げ物を特別に扱うことで。なのにあなたはそこから
    新たな罪の原因を生み出すというのか。あなたを照らし出すはずの
    光そのものが
    あなたの目を眩ませることになってしまうのか。おお私たちのうちに何と
    さまざまな印象を生み出すことでしょう
    主よ、あなたの御声は! 主はすべての魂を
    分け隔てなく真理の道へお招きくださる。
    なのに一方はより罪深くなり、他方は悔い改めるというのか。
 
      蜂と蛇はしばしば
       同じ液体をすするものだ、
       けれども同じ栄養が
       それぞれのなかで変わっていってしまう。
      というのも蛇の体内では    
       花は毒になってしまうが、
       蜂の体内では花は
       甘やかな蜜となるからだ。
 
カイン 厚かましい、煩わしい! これ以上俺に
    説教を垂れては大きな顔をするつもりか。アベルのなかの
    至上のご威光を俺が崇拝しなくてはいけないとは
    なんと奇妙なことだ。言えよ、俺はどんなふうに
    お前のことを呼ぶべきなのか。
    わが主? わが師? それともわが父か?
 
アベル ああ兄さん私の気持ちをあなたは
    あまりにも誤解しすぎている。
    私のなかの傲慢さではなく、兄弟愛が語るのだ。
 
カイン お前からのこんな兄弟愛など俺にはいらない。
 
アベル けれども憎しみは……
 
カイン            憎しみだけが
    俺に残されている喜びなのだ、
    たったひとつだが、大きいものだ。
 
アベル                 それでは、ああ、
    私を憎んで十分に満足なさい! ああ、いいえ、むしろ
    私を罰したまえ、おお兄さん、
    あなたが私を邪だと思うのであれば。その罰はどうか
    怒りではなく愛の結果でありますように。
    あなたに憎まれることよりもむごい苦しみなど私には
    ないのだ。その苦しみをやわられげる道を
    あなたこそが定めたまえ。私に何を欲される、
    何なりと指図どおりに動く
    家来、警吏、奴隷、それとも従者か。
    あなたがふたたび私を愛してくださるのなら
    私は何であれいっそうあなたのお気に召すものになろう、
    家来であれ警吏であれ奴隷であれ、はたまた従者であろうとも。
 
カイン 黙れ、お前の言葉はみなこの胸のなかに
    お前を嫌うための新たな理由をつみあげるばかりだ。
 
アベル しかしそれも私の罪なのか。
 
カイン              何一つ罪を持たないことがお前の罪だ。
 
 アダムと前場のひとびと。
 
アダム 息子たちよ、憤慨したような声をあげているが
    いったいその原因は何だ。こうも早く
    兄弟喧嘩が
    この地に知れわたるとはな。その血は
    互いに結んだあの愛の絆を早くも解いてしまったのか、
    母の身から離れてそう経たないというのに。
    ああなんと不吉な模範を罪深い子孫たちに
    示そうとしているのだ私たちは! 後世になれば
    ひとは害なす力を
    奪い合うのだ。われわれの過ちゆえに、ひとは原初からしてすでに
    罪深い。ひとはしだいしだいに過ちを
    すすんで犯していったのではない、
    むしろ原初のころから誤った尺度を用いていたのだ。
 
カイン お小言ならばアベルにおっしゃってください、
    おお父さん。あいつこそ俺の怒りの
    元凶なのです。こいつが
    天から寵愛を賜ってからというもの、その思いあがった行いには
    もう辛抱なりません。
 
アダム           お前を信じるところだよ、
    もしも私がわが子をよく知らなかったならば。
    ああカイン、カインよ、
    何たる狂気がお前の目を塞いでいるのか。アベルに罪があるとすれば
    それはお前に似ていないところだ。見習え、見習うのだ
    アベルの徳を、ねたんではならない。
    あまり遅くならないうちに、またあまり出し惜しみせずに
    神に供物を捧げるがいい、だが
    手本となってお前に正しい道を教える人物に対して
    怒り狂ってはならない。私は心を痛めているのだよ、おお息子よ、
    お前の今のありさまに。だがそれよりももっと
    お前のこれからを恐れる。私にはわかるのだ
    お前は断崖絶壁の縁を歩いているが、
    しかしそのことを知らないのだ。ああこれこそ
    罪深く邪な習わしだ、
    これが精神から光を奪い、
    なにごとかをなそうとするときには目を塞いで、
    間違っていないと思い込ませ、不幸に陥れ、無防備にさせてしまうのだ。
 
      偉大なる導き手とともに
       長い旅路をゆくなかで、
       ひとすじの光が
       残されているうちに、
       かつて逸した小道へ
       立ち戻れ。
      なぜならいと黒き影が
       行く手を阻むときには
       おおあわれなことよ、
       かつての道を
       あの闇のなかに見出そうとしても
       かなわないだろうから。
 
カイン 喜べ、アベルよ、そして勝ち誇れ。
    何もかもが俺の敵なのだ。見よ
    生まれつつある世界のなかに
    お前をほめそやしつづける者がまだいるぞ。母さんだ。
    そら、近づいてくる。あなたもまた
    俺を侮辱しはじめるがいい。わかっているのだぞ、あなたも
    やはり俺の敵どものなかにいるのだ。
 
 イヴと前場のひとびと。
 
イ ヴ                    息子よ、何を言うの。
    お前自身の他にはお前に敵などいないのだ。
 
アダム 病んだ魂を抱えているから
    健やかでありたいと望まないのだ。むしろ
    魂を癒そうとする手そのものを恐れている。
    この癒しがたい傷が
    薬に屈することはない。われわれの愛情を
    カインは少しも受け取るまい。
 
イ ヴ               そんなこと言わないで。私はあの子を
    まるきり信じる。そう、あの子は癖を改めるだろう。
    罪を憎むようになるだろう。私の
    後悔、そして父親の後悔を
    カインは真似ることだろう、過ちを真似たというのならば。
    さあ、おお息子よ、
    優しい母の
    幸せな希望が正しいことを証明して。あなたの変わろうとする
    兆しが見たい。弟にお与えなさい、
    かつての愛情をお与えなさい。それについては
    親しい抱擁が証拠となりましょう。さあふたりともここへ来て
    この腕のなかで和解しなさい。お前たちのなかを流れる血潮が
    かつて同じ源から生まれたことを一度証明して。
    カインよ近づきなさい。アベルよ、いらっしゃい。
 
アベル そういたしましょう。
 
カイン          (ああまことでなければいい!)
 
イ ヴ                        何ということ、おお!
    近づく代わりに、
    カインは遠ざかってしまうのか。
 
カイン 母さん、もうやめてくれ。あなたのこのお心遣いはむだだ。
 
イ ヴ 私の心遣いがむだですって。それではお前について
    こうもささやかな望みすら抱くことができないのか。涙を流す母は
    お前のこころを動かさないのか。母のはらからがかくも分たれるのを
    見せられることになるのか。おお息子よ、自らの
    嫌悪に打ち克ちなさい。幼かったお前はこの胸に抱かれて
    いのちの糧を得たのだから、それに私がお前を産んだときに
    感じたあの苦しみ、永遠の脅威という最初の印象のために、
    どうか自らを鎮めておくれ。
 
カイン              そうして欲しいですか。ではお望みのままに。
 
イ ヴ おお、いいのかい。おお、嬉しい! おお、わが涙は
    報われた! どうかこの兄弟の絆が
    二度と決して解けませんように。愛する息子たちよ。
    いまやお前たちはふたりとも私のものだ。あらためてそう思う。
    母のあわれみが勝利したのだ。
 
アダム               天がお前の
    願いをかなえてくださったのだ。しかし……
 
イ ヴ                     何か心配ごとでも?
 
アダム                              私は
    恐ろしい気持ちでいる、だが何故だかわからんのだ。不信心な者が
    平穏を装っているありさまはどこか疑わしい。
    そんな人間は海よりも当てにならない、
    たとえ晴れ晴れとして見えても
    表情には凪を、しかし心中には嵐を抱いているのだ。
 
コロス おお傲慢の娘よ
    あらゆる悪徳の根源の娘よ
    汝自身の敵よ、罪深き嫉妬よ、
    お前はひとびとの魂をすり減らしてしまうのだ
    鉄についた錆のように。
    お前は木蔦に似て
    自らのつたう支え木を滅ぼすのだ。
    ああ主よ、情け深い慈愛の松明によって
    かような毒から支え木を
    守りたまえ! 情け深い神よ
    あなたこそ慈愛そのものだ。
    慈愛に包まれて生きる者は誰であれあなたのなかで生きている。
 
 
 
第2部
 
 カインとアベル。
 
カイン そうとも、襲撃は決まった、
    弟を死に至らしめるのだ。あいつとのこの仲良しごっこは
    辛すぎてがまんならない、たとえ見せかけであってもな。
    われらの行いは逆らいあっている。
    正義よ虐げられるがいい。理性よ力に
    屈服しはじめるがいい。やつが来る。わが顔よ
    平静をよそおうのだ。そうするうちに怒りよ
    狭まったこころのなかで自らを煽り立てるのだ。
    うそいつわりこそ復讐へ至る道となる。
    やあ愛しい弟よ。
 
アベル         ではやはりほんとうに
    そんなふうにまた私を呼んでくださるのか。
    あの愛おしく和やかな呼び方があなたの口から発せられるのは
    どれほど甘美なことか、私にとってどれほど喜ばしいことか!
 
カイン アベルよ、俺はもはや
    かつてのありさまとはまったく異なるのだ。これ以上
    憎悪や侮蔑について話しはすまい。俺は自分が
    軽率にもわれを忘れていたことをとがめている。ともに野原へ
    くりだそうではないか、分かたれることのない仲間よ。そして
    父の叱責が早くも実を結んだことを
    父に見せてやろう。
 
アベル          ではあなたはもはや
    アベルだけが神に生贄を捧げたなどとは
    二度と言わないのだろうね。
 
カイン むしろかつての罪のつぐないとして
    俺も神に
    生贄をさざけたいのだ。
 
アベル            いつ?
 
カイン               すぐにでも。
 
アベル どこで?
 
カイン     ここから
    そう離れていない野原で。
 
アベル 生贄は?
 
カイン     もう用意した。
 
アベル            あなたのおこころは?
 
カイン                       定まった。
 
アベル それで、生贄はわれわれの神に
    ふさわしい?
 
カイン        神はたいへん好んでくださる。
 
アベル どんな?
 
カイン      お前にも今にわかる。
 
アベル                 許しをいただけるなら、おお兄さん、
    私も選ばれた供物のまえに居合わせたいのだけれど。
 
カイン いいだろう、お前もそこに居合わせるがいい、約束しよう。
 
アベル あなたの成し遂げたいと願うことを
    ただちにおやりなさい。
 
カイン            俺の望みにとっては
    もはやどんな邪魔も煩わしい。
    行こう。
 
 イヴと前場のひとびと。
 
イ ヴ     どこへ行くの、わが息子たちよ。
 
カイン                    野原へ。
 
アベル                        野原へ行きます。
 
イ ヴ こんなふうに、こんなふうに
    美しい愛の絆で永遠に結ばれたお前たちを
    母親である私が見られるなんて。お父さんの恐れも
    杞憂だった。
 
カイン        話を切り上げろ、弟よ、
    長居は無用だ。
 
アベル        ここにいます。では神の御許で。
 
カイン 行くのをやめて戻るのか。
 
アベル             少しばかり
    遅れるけれども、辛抱してください。
 
カイン                  ぐずぐずするなよ。
 
アベル お母さん、さようなら。愛しいお母さん!
 
イ ヴ いったい何を言おうとしているの、アベル、
    いつもと違う
    この過ぎたる慈しみによって。お前の胸に
    私の手を両手でつつんで
    きつく押しあてるなんて! 私の顔を
    まじまじと見ては、ため息をつくなんて!
    出発したがっているのに、留まるなんて!
    歩きだしては、戻ってくるなんて! 私の胸から
    離れることができないなんて!
    ああ、息子よ、黙りこまないで、話して。何か言いたいの?
 
アベル   たったいままで心臓のなかで
       私の血脈のとっていたこの未知の動きが何を表しているのか、
       私にはわかりません、それに私のなかに
       私自身を見つけ出すことなどできはしないでしょう。
      あなたが私の目にこれほどいとおしく
       映ったことはかつてありません、おお愛する母さん。
       あなたからわが身を引き離すとき
       苦しみをこれほど感じたこともありません。
 
 イヴとアダム。
 
イ ヴ おお慈悲深いわが息子の
    優しい愛情!
 
アダム        突然どんな不安が
    イヴよ、お前にのしかかったのだ。その涙はどういうわけだ。ああ
    お前もきっと恐れているのだろう、不信心な息子の
    偽りの平穏が残酷なものへと変わってしまうのではないかと。
 
イ ヴ 嬉しいのよ、むしろ私は。
 
アダム             嬉しいのに泣くのか。
 
     さて不安に苦しめられた心が
       心ゆくまで泣くわけだが、
       いつ心が満足するか
       涙そのものが教えてくれるだろうか。
      喜びがまことのものだと
       われらのうちの誰が思えるだろう、
       その者が悲しみのしるしをもちながら
       喜びをも語るならば。
 
イ ヴ いいえ、あなた、私は嬉しいの、
    それだけの理由があるの。私の瞳に
    あふれる涙は愛情のせいなの。あの無垢なアベルの
    愛おしい言葉が
    この母の愛情を
    私のなかに呼び起こしたの。もしも
    あなたの息子たちが親しく連れ立っているのをあなたが見たならば
    あなたも泣くはずよ。
 
アダム           あの兄弟がいっしょに
    歩いているだって! どこへ?
 
イ ヴ               野原へ。
 
アダム                   おお何たること!
 
イ ヴ                           あなた悲しいの?
 
アダム きっとカインは
    この平穏のなかに何か獣じみたたくらみを隠しているのだ、
    正直にいって、
    この平穏が訪れるのはあまりにも早すぎた。
 
イ ヴ                     私たちのあの子は
    それでも人間なのよ、獣ではない。
 
アダム                 ああ人間は
    獣よりももっと悪くなれるだろう、その者が
    過ちの道へ向かってしまうならば。人間は
    悪者になるために、より頑強な鎧をまとうものだ。
 
イ ヴ                        あなたの疑念は、
    いままであなた自身を苦しめていたそれは
    最初の過ちの不幸な
    結果。私たちは
    自分で自分の苦悩を司っている。私たちは神に感謝することなく
    神から授かったものをみだりに悪用している。むしろ
    神から授かったものを刑罰の道具としている。
    もっとも悪しき敵は私たち自身のなかにいる。
 
      最初の過ちの瞬間から
       私たちの意識のなかには
       自らを不幸にしてしまう原因が育まれている。
      精神は自らの力に抗えずに
       不安の種を見つけ出してしまう。
       あるときは、目の前にいる善良なひとに嫉妬し、
       またあるときは、どこにもない悪を予感する。
 
アダム わかっている。だが私は自らの恐れに
    打ち克つことができないのだ。わけのわからない力が
    息子たちの足跡をつけるよう、私に強いるのだ。
 
 イヴとカイン。

イ ヴ 残念だけどほんとうのこと。この
    卑しい私たちにふさわしい流刑の地に
    安らぎなどありはしない、
    ただ神のなかに求められなければならない。それにしても、あれは
    わが息子カインではないか。どうしてあれほど足早に、
    なぜひとりで帰ってくるのだろう。おお何と
    疑い深いまなざしを
    周囲にめぐらせているのか! 何のためにあのように
    人目を忍ぶようにそろりそろりと歩くのか。
    ただのそよ風が枝々のあいだで音をたてるたびに
    振り向いては、青ざめ、おびえている!
    どこへ行くの。逃げなくてもいい、イヴよ、私は。
    母さんがわからないの。ああ何て不吉な恐怖が
    あなたのこころのなかを満たしているのか!
 
カイン                     (見つかってしまった!)
 
イ ヴ どうしたの! お前、すっかり
    血まみれじゃないの! 罪なき弟を
    どこへ置いてきたの?
    ああ! なんて冷たい手が
    私のこころを締めつけるんだろう! 答えなさい。いえ言わないで、
    言わないで、残酷なお前。わかったから。わが息子、
    私のただひとつの慰めは……
    その血しぶきは……おお神よ! 救いはないのか。死んでしまいそうだ。
 
カイン たましいが潰れる前に
    いつものつとめに戻れ、さもなくば俺とともに
    逃げだすかだ。
 
 天使と前場のひとびと。
 
天 使        とどまれ、カインよ。
    お前の弟アベルは
    どこにいる。
 
カイン       知るものか。まさか俺は弟の
    お守だというのか。
 
天 使          お前は何ということをしたのだ! 邪な者よ、
    神から隠れようとでも思っているのか。発された言葉しか
    神には理解できないとでも思っているのか。主はすべてお見通しだ、
    主にとってはすべてのものが語りかけるのだ。お前の弟の
    血しぶきまでもが
    先ほど声をあげた、そして空を駆け抜けて
    いま永遠の玉座の前に
    届いているのだ。そこでうめき、打ちひしがれては
    罪なき身を嘆いているのだぞ。
    問いかけに答えよ、己の罪を認めよ。
    何においてアベルがそなたを害したのか。お前はただアベルのなかに
    神が与えたものを憎んでいたにすぎなかった。なのに
    争いになじまないこの素質に対してお前は、
    弟のうえに、お前の邪悪な怒りを
    ぶちまけたのだ。立ち去れ。大地に立つ限り
    お前は呪われるだろう、その大地には
    お前の注いだ血が
    しみ込んでいるのだからな。
 
カイン              何とひどい、
    何と恐ろしい命令!
    では何が俺に残されているだろう? 俺は亡命者、外道、
    神から追放された者だ、光から、そして己自身から、
    隠れてしまいたい。ああ会うものは誰であれ
    そいつが俺の死を
    司る者となるだろう。
 
天 使           いや、そんなことを恐れるな。
    むしろそんなことを望むな。死はあまりに
    短すぎる罰だ。不信心な者の不幸な生き様は
    他のものにとって見せしめとなるであろう。
 
      生きるがいい、だが永遠に争いのなかでだ
       自らの運命などわからぬままに。
       生きるがいい、だが死んだようにだ
       いっそう悪しき生を営みながらだ。
      お前の敵意ある望みのために
       大地は何も与えてはくれないだろう、
       お前がいくら汗水にまみれても
       むだになるだろう。
 
カイン みじめな! 何という恐怖と戦慄の奈落へ
    俺は落とされることになったのか!
    神の怒りから俺を匿ってくれる
    洞穴がどこかにないか? 逃げ去りたい。だがどうやって?
    それに逃げて何になるのだ、全身が震えて
    重くなり、足はもはやうまく動かないというのに?
    死刑執行人を自ら胸に突きいれてやろうか?
 
イ ヴ どこにいるの?
 
カイン        どうする。母さんが戻ってきた、
    まだ探している。
 
イ ヴ         アベルよ……
 
カイン               おおその名は!
    おお辛辣な非難!
 
イ ヴ          私の息子を
    返しなさい、極悪人め。
 
カイン            ああ母さん、なおも俺を
    苦しめようというのか?
 
イ ヴ             母さんと呼ぶなんて!
    誰の母さんだって? 私は一度に
    ふたりの息子を失った。アベルは死に、
    カインは罪人となった。私に残されたあれよりも
    死んでしまった息子を失ったことのほうが
    もっと不幸だと思われる。
 
カイン そんなことはない。
 
イ ヴ          恐ろしい過ぎたる行いを
    どうしてやってのけることができた。瀕死のアベルの
    表情や動きを
    よくも見ていられたのね。その手は
    攻撃をなかば思いとどまらせることもなく、そのとき
    お前の心臓をめぐる血が凍てつくこともなかった!
    お前は父の愛に対して、また母の気遣いに対して
    このような不信心な仕打ちをもって報いるのか。
    感謝、信頼、
    愛、慈悲、それらをもっと望むことは許されないのか。
    あわれな父、不幸な母!
 
カイン もういい、たくさんだ、わかった。自分の惨めなありさまが
    すっかりわかった。
    過去が俺を苦しめ、
    現在が俺を押しつぶし、
    未来が俺を脅かすのだ。俺の出会うすべてのものが
    俺を罰する。俺の両目には
    あらゆる人間、妙なる美徳が
    俺の受ける刑罰を、敵意とともに執行する存在に見える。
    俺はもはや神に望みを抱かない。神はあわれみ深くあろうと
    しないし、できないだろう。あいにく俺は
    自分の罪が永遠のあわれみよりもどれほど大きいか
    知ってしまったのだ。

      俺は自らの過ちを認める、
       どれほどのものかわかったのだ。
       許しを乞いはしない、
       慈悲を望みはしない。
      良心の荒々しい呵責が
       俺のこころをずたずたに引き裂く。
       だが悲しみが遅すぎたために
       俺の罪は清められず
       救いはむなしく、
       ありはしないのだ。
 
 イヴ、次いでアダム。
 
イ ヴ うそよ、不届き者、お前は偽りを述べている。私たちのどんな過ちよりも
    神のあわれみのほうが
    ずっと大きなものなの。ああ神に恩を感じない子は逃げ去ってしまい
    私の話など聞いてもいない。どんな気遣いをも遠ざけてしまうのならば
    どうして救いを得られよう。ああ、何というありさま!
    アダムよ、おお、あなたは何と悲しい重荷をかかえて
    私のもとへ帰ってくるのか! あなたの背負っている
    血の気の失せた亡骸は
    虐げられた罪なき子ではないか。かろうじてわかる。
    おお息子よ、お前は兄の怒りのせいで
    血の流れたあとのなかで
    かつての顔色を失ってしまったのか。
    あのうなだれた
    生気のない顔、そこには、ほこりや汗にまみれて
    涙を流した跡が筋となって残っているようだ。
    かたわらにいる者に比べて
    際立っているこの青白い顔色が、そしてこの、
    おびただしい傷口から
    滴り落ちる、まだぬくもりのある無実の血が、
    すべてを私のこころのなかに思い起こさせてしまう、
    お前の受けた痛みを、
    相手の過ちを、私の悲痛な運命を。
    おお過ちよ! おお血潮よ! おお思い出よ! おお死よ!

      慈愛がどんなものか知らないのだ
       あの子のこころは。恐れ多くもこれほど残酷なことを
       やってのけようが、砕けはしなかったのだから。
      この地上にそびえる山々よ
       残さず揺れ動くがいい、
       太陽よかすむがいい、
       天よ恐れるがいい。
 
アダム イヴよ、われらの嘆きは
    何と正しいことか、おお何と重大であることか
    その元凶は! わかっているだろうが、神の御業が
    死を招いたのではない。神はいのちが失われることを
    お望みにならないのだから。かかる喪失がこの世に入り込んだのは
    邪な者たちが言葉と行いによって
    呼び寄せたからだ。*1 そしてわれらの最初の過ちは
    争いの小道の入り口を邪な者たちに開いてしまったのだ。
 
イ ヴ                           そう、その通り。
    私たちこそ残忍な虐殺の
    元凶。アベルは私たちの過ちに課せられるはずだった罰を
    受け止めた。そして正しくあることだけが
    あの子にあるただひとつの落ち度だった。ああいったいどうして、
    主よ、罪なき者が
    これほど虐げられることを黙ってご覧になっているのですか。
 
アダム                             神秘なくして
    かくも大いなる出来事は起こりえない。それについて私は
    あたかも雲のあいだに太陽を垣間見るように、
    未来の闇のなかにほのかな直観を抱いた。
    おおまこと選ばれしアベルよ、
    尊い血を流して
    奴隷となった人類を救い出したお前よ!*2 私は
    お前の似姿のなかにお前の顔を見ている。*3 幾世紀も彼方の
    幸福なそなたたちよ、
    遥かな末裔たちよ、そなたたちには開かれるであろう、
    覆い隠してしまうヴェールなどなきままに、
    神のご意志の奥深き道が。
 
コロス 死せるアダムは語る、そして清らかな声で
    血族殺しを咎めるのだ。
    死すべき人間よ、語られているのはわれらのことだ。われらの誰もが
    その罪に関わっている、
    だがその苦悩に関わってはいない。誰もが背教の道を
    憎みながら、その道に足を踏み入れている。
    誰もがカインを憎悪していながら、自らのうちにカインを見出さずにいるのだ。
  




訳者による後注
*1 旧約外典『知恵の書』より(1: 12)生を過って死を求めることなかれ。また自らの手の行いによって滅びをもたらすことなかれ。 (1: 13)なぜなら神は死をつくりたもうたことなく、生ある者の滅びを喜ばれはしないからだ。 (1: 16)悪しき者どもが行いと言葉によって死をこの世に招き、死を友として衰え、死と契りを交わした。というのもその者どもは死の一部となるにふさわしかったからだ。
*2 キリストを指す。
*3 アベルが自らの身を呈して罪深き人間に自らの罪を意識させたという点でキリストを先取りしていることを示唆している。