あらゆる手を振りほどく運動




 名前のないひとについて語らなければならない。
 竹本寛秋(という名前)を知っているひとはそう少なくないだろう。近年の『詩学』BNを読めば「口語詩」概念を発生の段階から追跡し相対化しようとしつづける、近代文学研究者としての彼の相貌が明瞭にみてとれる。竹本名義のサイトもある。
 彼にはもうひとつの顔があるが、しかしその顔はのっぺらぼうだ。彼自身の流儀に従って「ななひと」と呼ぼう、その、名の無い人を。

 ななひとは、以前彼の参加していた『痙攣』同人のあいだでは密かに(冗談半分・本気半分で)「ミスター痙攣」と呼ばれていた。しかしななひとが『痙攣』に作品を提出しているのは全十三号のうちたった二号分だ。作品数によって『痙攣』の象徴とされていたのではなかった。では何によって、彼はそのように呼ばれたのか。それは、端的にいえば、その身振りによってだった。

 彼が自らななひとと署名することは、ある種の否定的運動の一所作として起こっているといえる。
 たとえばここに署名のない文書があるとする。何語で書かれていようが、それ自体はあらゆる状況から遊離している。ところが、その文書が実は夏目漱石の遺稿であることが発覚したら……つまり「夏目漱石」という署名が入れられたら……その文書は途端に、夏目漱石の手による一作品として読まれることになる。漱石の創作歴のなかに組み込まれ、いつの時期に書かれたかが研究され、そして漱石的文脈のなかでどのような意味を持つかが研究者によって論じられるようになるだろう。このように署名は、その著作者の経歴や創作歴を背に負っていて、かつ、もしもそれが漱石のように文学史の中で名高い位置を獲得した名前ならば、或る文学史的価値をその署名のなされた作品へと帰属させることになる。
 ななひと(名無人)という無名の名は、そうした固有名を振り切ろうとする否定の身振りのなかで生まれたといえる。竹本寛秋という個人名の背負うだろうものを、ななひとと署名することによって作品にそれを背負わせようとしなかったのだ。

 作品を作者側のコンテクストから遊離させようとするこの態度は、或る意味で古典的とさえいえる。ところがただそのように片づけることはできない。
 言葉はコンテクスト次第でどのようにも読解可能であるといわれる。コンテクストの提示=限定づけによって、読解は制約を受けつつ、可能性を持たされる。
 この可能性を剥奪することによって、彼は安易な読解を拒み、否定する。
 この態度は詩にも顕著にあらわれている。『脆弱 な 洗濯性 の 排除項』 より以前の作品は、激烈にこの否定の態度を貫いている。はっきり言って、読めない、読み解けない。「読み手」の、まさに「理解」しようとして差し伸べられる「手」を、振り払い続けている。
 詩法としては、ある語に次の語をつなげる際に、通常考えられるようなつなげ方を決してとらない、ということがあげられる。たとえば、「脆弱-な-肉体-の-問題」とすれば、ごく一般的な連鎖の仕方のように思われる。ところがななひとが「脆弱」から言葉の鎖をつなげると、このように巨大な読解不可能性の塊になる。
 これはいわゆる速度に任せた自動筆記ではない。どうやっても自動筆記にはある程度、主体性の残滓が浮かんでくるが、ここにはその欠片も見あたらない。かといって意味を伝えようとしているのでも毛頭ないし、感情の発露でもない。あるのはただ、他者の差し伸べてくる安易な理解の手を振りほどく激烈な否定の運動だ。彼において詩表現とはその純粋な、生の身振りなのだ。

 彼はこの作品を発表して以後、その作品を含む詩集『錯雑する、組成の、』を竹本寛秋名義で上梓する。思うにそれには名義上の混線があったのではないだろうか。「詩学」上での、そしてネット上での批評活動を続けるうちに、研究者・批評家としての竹本と、詩人・批評家としてのななひとの境界線が曖昧になり、折り合いをつけにくくなった結果なのではないか。この混線は本稿の本題ではないので指摘のみにとどめておく。だがこの時点で「詩人・批評家としてのななひと」という表現が或る人々に対しては成り立つくらいには、ななひとという名前はすでに固有の経歴を背負い、かつて企図されたはずの無名性を失っていたのは確かだ。
 名の無い人。それ自体が名前になってしまった、ななひと(さん……)。彼の作品は詩集上梓以後、新しい展開を見せはじめている。無名性を喪失したまま、これからどのように運動し続けていくだろうか。