黄映 原口昇平 砂の午後。《風力だけで書かれた部屋からは まばらにわだかまりの光咲くことがある、 と、聞いた覚えがある。それはいつのことだ ったか、やわらかな残酷を、 そのぬくもりを手にとり、行く場所を知りな がらもすくいつづける母の かげり。「それ はいつしか親しまれ、私が抱えた夜の瓶のな かへ流れつくようになった。そう、 聞いた覚えがある。流砂。月も持たずに、膿 んでいく渇きの空から目をそらして立ってい た、と。いのちを支えるには短すぎる銃剣を 磨きながら、はるかな時間めがけて。祖父は 知っていたのだ。濡れた雑巾五枚分を一刺し にする手応えが続いて、あのかげりが訪れ始 めたころ、たしかに黄土の 映えりを見た、と。そう聞いた覚えがある。 誰もこの渇きをわたってゆけなかったと。眠 りこむ進軍のあとに、それはいつも書物の姿 をしていたと。そして燃える風だけが、その ページをめくっていくことができた。旅立ち の午後、それを読むことのできた者は 《ひとりも いない。 ひとかたまりの死のなかには。 そう。聞き覚えのある音楽にひきよせて。あ の綴られた痛みについて、ときに乳の匂いの する手が聞こえ、あれは生まれてこなかった 娘の。すくおうとして、ほんとうは、殺して いくための。水に流された、わずかにずれた 冷たさ、 土のにぎりしめた、黄色の刃だった。 《そのかたすみでは 風力がたしかに部屋を書いていたのだ。 では こぼれるはずの花は。 約束されていたいのちは。」 と。 そう聞いたという。母は、つらい水のぬくも りを払いながら。もうすでに、部屋でむすば れてしまった古い口から、母もまた砂のかせ をかけられた、聞き覚えのある風だと。そし てお前も。そう 《聞いた覚えがある。 と。