解散にあたって 03.10.7記




「痙攣」が解散する。

「痙攣」はぼくにとって、近からず遠からずという距離をもってあり続けた。より正確にいうと、そのような距離を無意識のうちにぼくがとっていたのだと思う。「痙攣」という場所は座り心地のいいソファではなかったし、また夜中に望遠鏡で覗いてみる六等星でもなかった。それはぼくが同人でありながら編集委員という立場をとっていたからだと思う。
 もちろん編集というのは名ばかりで、毎号の表紙をデザインし、目次をつくって同人が出してくれた作品を到着順に並べるだけの仕事だった。同人は作品をHTMLファイルで送ってくれるので、ただそれをまとめていけばよかった。毎号特にテーマも決めなかった。初期の頃は同人の間から企画が持ち上がればそれをやるだけで、のちに企画もなく淡々と作品を発表していく形態になってからは、ぼくのすることも減った。
 それでもぼくは、ここを気楽で牧歌的な雰囲気の場所だとは考えられなかった。ともかくも距離があり続けたのだ。

 ぼくは時々危うさを感じていた。普通詩の同人誌といえば、たとえば社会性・批判性の色濃いものであったり、毎号明確なテーマを決めてそのもとに編集していくとか、そういうイメージがある。そこにはかなりがっちりした結束感がある。けれど全十二号を通してぼくら「痙攣」同人が確固たるかたちで共有したものは、たったひとつのテーゼしかなかった。すなわち、発起人である洛陽氏が創刊号で提示した「表現のための表現」である。
 そもそも「表現のための表現」とは何か。発起前、洛陽氏に声をかけられた何人かは、これをめぐってかなり議論を交わしもした。当然ながら「表現のための表現」というテーゼにおいて、先行する「表現」とあとに続く「表現」とのそれぞれの概念は微妙なずれを持っている。たとえば「トマトのためのトマト」という言葉を考えてみればいい。そのとき前者の「トマト」と後者の「トマト」は必ずしも一致しない 間に差異を孕んだものでありながら、その文字によって、あるいは音によって、やや暴力的なまでに同一性を持たされている。このとき「トマトのためのトマト」は差異を孕みつつ、同一性を持たされる、つまり見かけ上自己差異化し続ける独立した運動体である。つまりぼくらは表現行為そのものを以ってそれを実践しようとしたのだ。
 だがこれを実践し続けることは、同時に排他性を強く持つことなのだ。もちろん「同人」という形態の排他性は当然あるものだけれど、同人に参加する諸個人が「他」つまり同人の「他のメンバー」も含まれる・・・に対して強く独立性・単独性を持つ、そういうレヴェルでの排他性である。
 そんな自己矛盾を生み出すテーゼを内部に抱えながら、運動体はやっていけるものだろうか。連帯ということが、ぼくらには無いのだ。たったひとつのテーゼ以外のなにものも共有されない、そういう場所で、「痙攣」はよく続いたと思う。

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 ところで「表現のための表現」という言葉はまた内向的傾向を示している。「トマトのためのトマト」はあくまで前者「トマト」のためにしか存在しないように、だ。
 しかし、「トマトのためのトマト」が誰にとっても明白な「モノ」としてそこにあり続けるように、「表現のための表現」行為は他にとって明白なかたちで「表現」であり続ける。内向的でありながら、他へ、外へ外へと向かう「力」なのだ。
 実際、ぼくらの実践した表現行為は(目新しいものではないにせよ)「力」となって内外に影響を及ぼしたのではないかと思う。ぼくらは散種した。種を蒔いたのだ。似たようなオンライン同人誌も出た。参加している個人が好き勝手に自分の表現を発表できる場所をつくろう、というものだ。しかしぼくらの蒔いた「種」はぼくら「痙攣」が共有しているテーゼを内包しないものだったので、結果芽生えたそれら「似たようなもの」は現在同人誌としてまったく体をなさないものになっている。彼らは力とはなりえない。あるいは力であったとしてもまったく異質なものだ。

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 解散にあたっての理由はいくつかある。運動体が運動体であり続けるためには運動体それ自身の変革・差異化が必要であること、つまり単純に言ってマンネリ化してはいけないということだ。また一度活動に区切りをつけるという意味合いもある。同人のうち樋浦勇樹は十号を区切りにすでに脱退していたし、また同人それぞれがこの全十二号の活動を通して変わってきた部分もあろう。ここらでひとつ区切りをつけよう、そう言い始めたのは、同人のうち誰はとなくであった。
 もちろん解体のあとには再生がある。ぼくはまたここに戻ってくるだろう。だけどそのときぼくはぼくじゃない、ぼくのためのぼくが別人であるように、ぼくは変わっているだろう。新しい「痙攣」で生み出される表現も、そして「痙攣」そのものも、ぼくらが生きているように。言えることはそれだけだ。