典拠:Ildebrando Pizzetti. ‘“Les italienismes” nella musica.’ In la Nuova Musica, a. XIV, n. 158, Firenze, 5 febbraio 1909: pp. 7-8.
訳者名:原口昇平(連絡先)
最終更新日:2015年2月11日 ※引用の際には典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記
音楽における「イタリア風趣味 Les italienismes 」 イルデブランド・ピッツェッティ
いつの夕べからか、私は散歩の終わりにとある大きな喫茶店で一休みすることにしている。そこでは、たくさんの芸術家たちが、とくに外国人たちが集まってきては芸術、詩、絵画、音楽について議論している、と聞いたからだ。私はホールの隅の、他から離れたテーブルに座る。そのホールでは、たばこの煙が充満するなかで、それでも電灯が明るすぎるくらいに輝いていて、ひとびとの顔に古い蜜蝋の色を投げかけている。私はコーヒーと新聞をいくつか持ってこさせるが、読まない。むしろ、見て、聴くのだ。周りには、長い髪を撫でつけ、髭をすっかり剃った若者たちがいる。青年たちはどこか老けてやつれているようだ(画家、詩人、それとも音楽家だろうか? ……誰が知ろう?) また他にも、くしゃくしゃの髪とひげを生やした者たちがいる。文明人の服を着た野生人のようだ。他にもドイツ人、フランス人、ロシア人がいる。イタリア人はほんのわずかにしかいない。彼らは、概して、詩、演劇の小品、絵画、彫刻について話し、議論している。だが彼らはたまに音楽についても話し始める。私は注意深く聴く。彼らはとくにドイツやフランスの歌劇について論じ、自信のありそうな態度でその美点や欠点を主張しては否定しあう。その態度といえば少し唖然とさせられるほどだが、多くの場合興味深く、また好ましい。
だが、そうした評価のなか、興奮と軽蔑とを表す一言一句のうち、私はあるひとつの言葉に衝撃を受けた。彼らが歌劇における凡庸さや俗悪さを定義しようとするたびに、彼らの会話に繰り返し登場する言葉――「イタリア風趣味 italienisme」だ(これはフランス語の語彙である、私は幸いなことに同じ意味の言葉をイタリア語で聴いたことがない)。
「イタリア風趣味」というのは――いまや私はよく理解している――つまり醜悪であり、俗悪であり、下劣であるもののことだ。例えば、私の行く喫茶店にいる若い音楽家たちが《サロメ Salomè》について話す。ある者はそれが素晴らしい価値を持つ歌劇だと言い、またある者は否と言う。ある者は、その音楽がヘロデ王の邪な娘における諸々の感情をよく表現していると見なしており、ある者はその音楽が「ワグネリズムの応用」に他ならないと考えている。だがすべての者が、そのオペラの最も粗悪な部分のうちいくつかについて意見を一致させるに至り、みながその考えを言い表すために「イタリア風趣味だ Il y a des italienismes.」というフレーズを用いるのだ。そうして禿げた者も長髪の者も、ひげを剃った者もひげを生やした者も、私と同じ店内にいる若い芸術家たちはみな、自分たちが並外れて愚かな言葉を述べていることに気づかないようだ。
イタリアの音楽家たちが――かつても今も――たいへん頻繁に、あまりにも頻繁に、最もいい加減で俗悪な思いつきに支配された音楽を作ってきたことについては、否定できない。彼らがひどく安易な着想を書きとめただけのものを、かつても今もひどく安易に作りつづけているというのは、まったく真実だ。だが、芸術のイタリアらしさ italianità は、そうした音楽家たちが急いで即興的に書き上げた譜面のページのなかや、彼らが俗悪なものに対して譲歩した部分のなかには、かつても今も存在しない。リヒャルト・シュトラウスは(私の行く喫茶店に集う若者たちのあいだで実に頻繁に話題になっているが)、ほんとうに、自らのいくつかの歌劇のなかで、実に俗悪な部分を譜面の数ページにわたって書いている。そのことを認識するのはまったくけっこうなことだ、しかしだからといってそれをイタリア風趣味 italianismo と呼ぶべきではないし、その余地すらない。それは、ちょうど、私たちが、気取った主導動機と生硬く耳障りな和音とをたいした効果も伴わせられずに大っぴらに誇示するばかりであるイタリアの近代作曲家による歌劇の一部を、ドイツ風趣味 tedeschismo と呼びたがっていたのに似ているかもしれない。そうした一部の歌劇は表現力を欠き、無意味であり、ばかげていて、発展性を持たない。それは〔民族のせいではなく〕当の音楽家のせいだろう。ちょうど、リヒャルト・シュトラウスや、(他の誰よりも)マスネーや、私たちの知る他の作曲家たちが、それぞれの音楽の俗悪な部分について責任を負わされるべきであるのと同じことだ。また、まったく率直に言うと、音楽の俗悪さと言われるものはレオンカヴァッロ風趣味 leoncavallismi であると見なしうるかもしれない。というのも、《ロランド Rolando》の有名な作り手〔レオンカヴァッロ〕は、気品ある音楽を決して書いたことがなかったからだ。まして、彼がフランス語やドイツ語のテクストに作曲したとき、イタリア語のものよりもいっそう気品を込めていたわけがない。
私たちイタリアの若い音楽家は、少し前から、音楽研究 studi musicali と音楽教育 educazione musicale の改革の必要性について確信しはじめている(いまではほぼみなが確信している)。音楽の活動は、いっそう確かな知識によって、またいっそう安易ではない美的趣味によって、啓蒙され、指導され、監督されなければならない。また私たちは自らに対して次のように繰り返し言い聞かせるようになっている、私たちには研鑽が足りず、私たちは音楽文化〔音楽的教養〕において外国人たちに後れをとっていると。そして私たちは、お互いにいっそうよい活動をするよう励ましあいながら、フランスやドイツの歌劇の美を称えつつ、イタリアの歌劇のなかにある醜悪なものを少しも例外なく暴き出して、明らかにしている。これはかつても今もたいへん素晴らしいことだ。実際、イタリアの音楽家たちにおける音楽文化〔音楽的教養〕は、この最近15年間で、総じて、それ以前よりも遥かに広がりをみせ、かつ遥かに改善された。
だが、今こそ、外国人たち(私の行きつけの喫茶店へ集う若い芸術家たちだけではなく、フランスやドイツの新聞ないし雑誌の批評家たちまでも)がためらうことなくイタリアらしさと音楽の俗悪さを一緒くたにして言いふらしているという事実を前にして、今こそまさに、私たちは外国人たちに思い出させてやらなければならないのではないか? かつてみなが――フランス人もドイツ人も――イタリア人からきわめて多くのことを学んだ、そんな芸術がひとつある。それは、何よりもまして、音楽である。
(1909年2月)