参考文献:
Sonetti della scuola siciliana. A cura di Edoardo Sanguineti. Torino, 1965.
I poeti della scuola siciliana. Vol. I: Giacomo da Lentini. Edizione critica con commento a cura di Roberto Antonelli. Milano: Mondadori, 2008.
訳者名:原口昇平(連絡先
最終更新日:2016年4月17日  ※引用の際 典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記


Giacomo da Lentini (ca. 1200-ca. 1260)

 
   Lo giglio quand’è colto tost’è passo, 
da poi la sua natura lui no è giunta; 
ed io dacunche son partuto un passo
da voi, mia donna, dolemi ogni giunta.
Per che d’amare ogni amadore passo,
in tante altezze lo mio core giunta:			5
cosi mi fere Amor là ’vunque passo,
com’aghila quand’a la caccia è giunta.
   Oi lasso me, che nato fui in tal punto,
s’unque no amasse se non voi, chiù gente,	10 
questo saccia madonna da mia parte. 
   Imprima che vi vidi ne fuo’ punto,
servi’vi ed inora’vi a tutta gente, 
da voi, bella, lo mio core non parte.


ジャコモ・ダ・レンティーニ(ca. 1210-ca. 1260)


   白百合は摘まれるとすぐに干からびる、
するともう自然の力が届かない、
そしてわたしはあなたから一歩離れると
わがよきひとよ、節々のいたるところが痛むのだ。
愛することにかけてすべての恋する者たちをわたしは超えていくから、
わたしのこころは〔あなたと〕同じ高みへたどりつく。
どこへ行こうにもアモール*1がわたしをそこへ運びあげるのだ、
えものをとらえた鷲*2のように。
   おおあわれなわたしよ、かような星のもとに生まれて
あなたの他に誰も愛さないから、至高のひと*3よ、
高貴なる奥方よ、わたしのこの思いを知っていただきたい。
   お目にかかるや否やわたしはあなたのまなざしに射抜かれて、
すべてのひとの前であなたに服し、あなたを讃えた、
あなたから、美しいひとよ、わたしのこころは離れはしない。

  




訳者による後注
*1 愛の神格化。ギリシャ神話におけるエロースやローマ神話におけるクピドと同一視された。
*2 愛の神を「鷲」に喩えるのはおそらくダ・レンティーニの独創。なお彼の仕えたフリードリヒII世は鷲の図案を紋章として使用している。
*3 「至高のひと」(chiù gente)及び第11行目「高貴なる奥方」(madonna)は宗教的解釈をとるなら聖母マリアを意味するが、世俗的解釈をとるならこの世でもっとも高貴な位置にいる女性のことを意味する。したがって神聖ローマ皇帝フリードリヒII世の妃を指す可能性が高い。
訳者による解説
 宮廷詩人による恋愛詩を王が奨励したのは、宮廷詩人たちが最高位の女性への叶わない愛をうたうことによって、むしろその“所有者”であるところの皇帝の王位がますます高められることになるからでもある、と研究者たちのあいだではいわれている。愛の対象を高みに位置づけるこの詩は、その説を根拠づける(または補強する)代表例といえるだろう。実際、ダ・レンティーニのこの詩では、一介の宮廷詩人は決して最高位の女性を妃として王位を得ることはないが、その女性への愛にこころを委ねることによって、自らの精神の品位のみは高めることができる、ということが歌い上げられている。そこに中世騎士道精神の本質がある。宗教的領域において聖母を愛することは神に従うことであるように、世俗的領域において至高の女性に対する精神的な愛と挺身的忠誠は王への臣従を意味するのだ。いわゆる「12世紀ルネサンス」のなかで成立したロマンティック・ラブと呼ばれるこの愛は、文学や芸術の伝統を通じて、のちのち近現代の恋愛観にまで長く深く影響を及ぼしていく。