典拠:D'Annunzio, Gabriele. "La rinascenza della teagedia." La Tribuna 3 agosto 1897.
訳者名:原口昇平(連絡先
最終更新日:2013年 9月21日  ※引用の際には典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記
 
悲劇復興      ガブリエーレ・ダンヌンツィオ
 

  今日、プラタナスの茂るプロヴァンス地方の一都市オランジュにおいて、フランス共和国大統領は、壮大なる祭典を催してローマ劇場の新装を祝う。この劇場は、ローマの力によって固められてから時の流れと野蛮人にいまだに抗っている古代の祝典の建造物であり、メルポメネー *1 のコロッセオである。その一部の石材はかつてオラニエ公ウィレム1世の恐るべき息子によって砦の建設のために取り去られたが、穏やかで忍耐強い建築家オーギュスト・カリスティが50年間熱心に研究してはそれを復元した。まさにその場所に、悲劇の詩行がふたたび響き、夏空のもと屋根のない階段席に居並ぶ大衆の大喝采がとどろきわたるのだ。
 アテナイのアクロポリス丘陵の斜面に接するディオニュソス劇場に似て、石のごつごつした小丘の斜面に建つ黄褐色の広大なモニュメントは、その壁のなかにさまざまなひとびとを収容する。このひとびとは、アンティゴネーの嘆きやエリーニュースの叫びを聴くため近隣の村や遠方の街から集まってきたのだ。ルイ14世そのひとに王国最大と言わしめた古代ローマの壁が、聴衆に畏敬の念を抱かせるほどに迫ってくる。守護の紋章のように舞台側面に立つ静かな大樹、岩々の隙間から垂れ下がる黒い蔦、暗いくぼみのなかに巣を作る小鳥たちが突然飛び立つさま、丘陵を取り巻くザクロの木とキュウチクトウのはざまに吹く風、神々しく広がる空。あたかもこうしたものが、人類による太古の事業の産物を、自然のもののひとつへ、あるいは大地の魂から生気を与えられた岩のかたちへ、もしくは昼と夜の声をそこへ集めるために地霊 un genio autòctono によってかたちどられた深いコンカ *2 へ、変えるかのようだ。そこへ入る者は、イチジクやブドウの木、マイナスたちの発作を真似て枝々をねじる草木の生い茂る野を渡ってやってきた。その者のじっと凝らした瞳のなかには、美国 il bel paese *3 の整った容貌が映りつづけている。その国の岸辺に、かつてヘレネーの子孫たちが、あたかも一族の母の幻像によって惑わされたかのようにたどりついたのだ。
 その者のなかでは、劇一般 il Drama の農民的起源が、ディテュランボス詩行による悲劇 la Tragedia dal Ditirambo の誕生が、いまやすっかり思い出されている。かつてバッカスの杖に巻きついていたのと同じ蔦がいま壁を飾り、かつて農民の競技において賞品であったのと同じ果実がいま舞台上で木から垂れ下がっている。テスピス *4 は、ペダニウス・ディオスコリデスによるあの墓碑銘におけるように、自らの栄光をふたたび勝ち取る。「バッコスがブドウ摘みの貨車を引き戻していたころ、また一頭の好色な雄ヤギが籠いっぱいのアッティカ産イチジクとともに賞品とされていたころ、まさに私テスピスこそが、初めて悲劇の調べを思いついた……」

 都市の窮屈な劇場からはまったくかけ離れている。あちらでは、役者たちが、あらゆる不浄なものでいっぱいの息詰まる熱気のなかで、大喰らいと売女の群れを前にして、スピントリア *5 の斡旋をしている。しかるにこちらでは、アンティゴネーの声が、いまだに大理石の欠片のあふれる舞台前面から、暮れ初めにあらわれる星々へ向かって上がるのだ。ドーリア風のペプロスの襞が、いくつもの山と海とを越えてきた風に揺れる。オイディプス王の優美かつ英雄的な娘が「すべてを眠らせる婚姻の床へ」進み出る。そのとき、ローヌ川の船頭たち、カマルグの牛飼いたち、アヴィニョンの絹織りたち、アルルの船大工たち、そうした者たちが、未知の都市からやってきたよそ者たちに交じって、あわれみとおそれに身を震わせる。彼らは、あの理想的な生の不意な出現を前にして、その場でじっと目を凝らし沈黙している。彼らの無骨で無知な魂のなかに――いつも従わされては苦しめられている日常という牢獄の外へ、虚構という手段を通じて、飛び出したいとひそかに欲している魂のなかに――詩人の言葉は、たとえ理解されないとしても、律動の神秘的な力によって、堅い戒めから解き放たれた瞬間の囚人のように、深い動揺をもたらすのだ。解放の幸福感がしだいしだいに彼らの実存のなかいっぱいに広がる。いつも荒々しく叫んでばかりいた彼らの口が驚嘆のあまり閉じなくなる。そしてついには、彼らの両手が――櫂、犂、機、槌といった仕事道具の奴隷であった荒れた両手が――崇高な処女へ賛意をあらわすのだ。そのときその処女は天に向かって不滅の嘆きを上げる。「見よ、おお父なる大地の民よ、終の道へ入りながら太陽の最後の輝きを見つめるこの私を、もはやふたたび相まみえはしまい! すべてを眠らせるハーデスが、私に婚礼を許さず、生かしめたままアケローンの岸辺へ導いていく。私に祝婚歌は歌われなかった、なぜなら私が嫁ぐのはアケローンだからだ……」

 私がこの並外れた出来事を表現したかったのはなぜかというと――あらゆる文化的審美眼が失われたイタリアでは黙殺されるかもしれないが――それが、新しい傾向の手がかりとして、またラテン精神の目覚めの兆しとして、有意義だと思われたからだ。ラテン精神は、あたりにたちこめる異国の霧の中で、古代の光のしるしをついに見つけるのだ。「窓を開けたまえ! 清涼な空気が入ってくるようにしたまえ!」 締め切った部屋のなかで苦しみを感じていた者の叫びだ。それは今日オランジュのローマ劇場で一万人の観客たちの抱く感覚に一致しているように私には思われる。「窓を開けたまえ! われわれに息をさせてくれ!」 同じようにがまんできなくなり、また同じような欲求から、別の場所で、フランスの他の街路で、ビュッサンで、ヴォージュ山脈のあわいで、ひとりの詩人が、美しい牧野に木の舞台を組んだ。そして森と岸壁の見えるひなたで、草の上に座るひとびとに、自らの詩の劇をささげたのだ。
 劇作品は、最低にみじめな水準にまで貶められ、あらゆる知も教養もない製造者たちの手にかかって下賤の産業にされ、老人の色欲をかきたてようとする聡い娼婦の秘密の手練手管に近づけられてしまった。しかしそれでも依然として劇作品は生命力あふれる形式でありつづけているのであって、他ではないこの形式によってこそ詩人たちは、群衆に自己と美を啓示すると同時に、生をただちに一変させる雄々しい英雄の夢を伝えることができるのだ。
 かような形式に古代の宗教精神を吹きこみ、その形式を太古の高位へもう一度押し上げることは、詩人たちの誉れだろう。ディオニュソス祭の大いなる変容は――悲劇詩人の創作熱へ変わる聖なる祭礼の熱狂のようすは――詩人たちの祈願する心のなかではいつも象徴として思い描かれていてほしい。劇とは、祭礼または神託でしかありえないのだ。預言者の言葉が舞台上で生ける人となり、群衆が聖堂のなかにいるかのように黙しているならば、ことによると今日ふたたび、オランジュの古代劇場におけるソポクレスの悲劇の上演は崇拝、祭式、神秘の性質を帯びはしまいか? そういうわけで、私は今日かの特異な出来事からひとつの祈念を導きだし、われらの血統の理想的本質が滅ぼされることは永遠にないなどとまだ信じているひとびとに示してやりたいのだ。祈ろう、これほど長く悲しく待ち続けたあとに、ついには英雄的な美が私たちを喜ばせに訪れますように!
 希望が必要だ。というのも、アイスキュロスの言葉によれば、「希望の歌を神に歌う者は、自らの願いが成就するのを見ることになるだろう」から。



訳者による後注 
*1 ムーサイのひとり。悲劇や挽歌を司る。
*2 壺の一種。大きく広がる円形の口を持つ。詩人の出身地であるペスカーラなどイタリア中部沿岸地域で水汲みに用いられる。
*3 イタリアを指す。
*4 紀元前6世紀後期アテナイの伝説的詩人。
*5 ティベリウス帝下にて行われたと言われていた乱痴気騒ぎ。