典拠:D'Annunzio, Gabriele. Il caso Wagner, in 《La Tribuna》, 23 luglio, 3 agosto, 9 agosto 1893.
訳者名:原口昇平(連絡先)
最終更新日:2013年1月16日 ※引用の際には典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記
ワーグナーという症例 ガブリエーレ・ダンヌンツィオ
I
あるときからワーグナーの関連文献はきわめて豊富になっている。バイロイトのイエスに関する賛美および注解の書物の一覧は、日の経つほどにいっそうふくれあがっていく。彼の音楽を喧伝する機関は数を増し、活動を広げている。楽劇の入門書はもはや数え切れない。他の作曲家からワーグナーへと改宗したイタリア人たちは、根っからのワーグナー信者たちに負けないくらい熱心だ。
最近では、カルロ・イアキーノとエドアルド・ニコレッロが、フラテッリ・ボッカ社から、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》に関するたいへん明快かつ的確な分析的研究を出版した。彼らは、詩と音楽とを、幕ごと場面ごとに綿密に取り上げ、大多数のひとびとにとってそれまでよく知られていなかった示導動機のシステムをこの模範例に基づいて明らかにしている。彼らは劇の筋を構成する中心的動機の譜例をその小さな書物に付していて、とても注意深くその展開を追っている。さらには、まとめの図表において、古い職業組合、改革者ヴァルター、靴屋詩人ハンス・ザックスによって体現される劇の3つの理念的原理のもとに、諸動機を整理しなおしたのだった。かくして、好事家が動機の体系を全面的に理解しやすくなっており、同時に、その作品のなかにどれほど有機的活力があるのか、どれほど大きくて重い題材が含まれているのか、把握しやすくなっている。
また、新たな教説の信奉者たちが比較的多く暮らしているらしいボローニャにおいても、近年『クローナカ・ワグネリアーナ Cronaca Wagneriana』が登場した。その目的は、リヒャルト・ワーグナーの諸理念を大衆向けに易しく解説し、公演や著作に関する告知を広めることにある。
さらにフランスでは「お善意」の注釈者たちがたくさんあらわれている。しかし彼らの注解は忌々しい趣味によって際立っている。彼らは、テクストをわかりやすくするというよりはむしろわかりにくくしており、しかも難解な言葉を饒舌に並べたてるばかりなのだ。私はこのテーブルの上にフィルマン=ディド社から実に綺麗な印刷で出版された最新の注釈書をおいている。それはネルタル Nerthal とかいう人物によるもので、『トリスタンとイゾルデ(ワーグナーの楽劇における情熱) Tristan et Yseult (La passion dans un Drame Wagnérien) 』と題されている。この書物以上にばかげていてくだらないものを想像することはできない。またどこを見ようともこころの浮き立つものがまったくない。ロマン主義の古びた語彙の群れが、腐った古臭い油で揚げ直されている。
ジョルジュ・ヌーフラーは『リヒャルト・ワーグナー自身によるリヒャルト・ワーグナー』第2巻を刊行した。こちらでは、ワーグナーの考え方の発展していく様子が、この巨匠の評論や解説といった著作から抜粋された数々の断章によって、わかりやすく示されている。この巻は4部構成をとり、《ニーベルングの指輪》の台本初稿から《トリスタンとイゾルデ》第3幕完成形までの、著者いわく「偉大な芸術作品の発展 l'élaboration du grand oeuvre d'art」 の諸段階を叙述している。
だが、これから検討したいもっとも目を引く小論は、フリードリヒ・ニーチェによる『ワーグナーという症例 Il caso Wagner』である。こちらに関してはダニエル・アレヴィ氏ならびにロベール・ドレフュス氏によってフランス語へ完訳されており、これがラテン諸国における普及を促進している。
「フリードリヒ・ニーチェだって! そいつは誰だろう?」 私の読者の大多数はそう問うだろう。そうした読者まで、彼の評判は届いてはいないかもしれない。このドイツの哲学者は、同時代のブルジョア的教理と更新されつづけてきたキリスト教文化を実に荒々しく攻撃している。
彼は、この世紀末に世に現れたもっとも独創的かつもっとも大胆不敵な精神のひとつである。彼の知的省察の諸帰結は、奇抜な著作のなかに収録されており、苛烈かつ説得力のある文体で書かれている。そこでは逆説と皮肉が、また騒がしい罵詈雑言と厳密な名言とが、交互に登場する。こうした著作のうちもっとも意義深いのは、『ツァラトゥストラはかく語りき』『道徳の系譜』『善悪の彼岸』『偽の神々の黄昏』『悦ばしい知識』である。
スラヴ人たちによって説かれた福音の教理がつねに新しい改宗者を獲得している時代に――古い宗教の遺跡のうえに憐れみの宗教がそびえる時代に――フリードリヒ・ニーチェはほとんど激怒して、憐れみに抗い(「この海綿が人間の中味を吸い取るのだ」)、自己犠牲に抗い、献身的信仰に抗い、ついには彼によれば弱きもの全般による産物すべてに抗って立ちあがるのだ。古い社会組織は虚偽に基づいているので、彼にとっては滑稽であって取るに足りないものだ。彼の想像によれば、新たな貴族階級が、淘汰によってゆっくりと仮借なく形成され、力の感覚 il sentimento della potenza を復権させ、善悪を超えて立ちあがり、自らの益に大衆を服従させるべく主導権を奪取するという。
彼によれば、頽廃一般の理由は次の事実のなかにある。すなわち、ヨーロッパ全体が、奴隷の道徳感覚のなかで捉えられた善悪観を、決定的に刻みつけられてしまったからだ。
道徳には2種類ある。「高貴な」者たちの道徳と、奴隷の群れの道徳だ。さて、あらゆる原始的言語において貴 nobile と善 buono は等価であって、また貴 nobile は階級をも意味する。そうであるからには、主人の特権集団が善なるものの最初の概念を作り出したということが明白な帰結として導かれる。彼らの道徳全体は、彼らの至高の尊厳観のなかに根差しており、生の誇らしげな賛美へ向かうのだ。
善なるものの起源は、奴隷においては必然的に異なる。主人が善と呼んでいるところのものを、奴隷は本能によって警戒する。なぜなら、実際、主人にとって善の名に値するものは、奴隷にとっては不都合なのであって、それゆえに悪を表すからだ。
しかしあいにく、ニーチェによれば、奴隷たちの道徳が他方の道徳に勝ってしまった。いずれの道徳にせよ自らを勝利に導くためには、何らかの誘惑の力が必要であった。ナザレのイエスは、策略として愛を道徳に持ち込み、不幸な者や臆病な者を自らに引きつけた。弱者や被抑圧者のあらゆる忍耐が徳へと変えられたのだった。反対の原理から自らの掟を導きだす強者は嫌悪すべきものだとされた。禁欲主義は、衰弱と陰鬱のヴェールであらゆるものを覆ったのだ。
そういうわけでこの道徳は群衆の本能に他ならない。超越する人間たち gli uomini superiori は、群衆の境遇を向上させる試みや、憐れみというキリスト教の徳を実践する努力をおひとよしに任せて、その道徳を破壊することにあらゆる力を注ぐのだ。
憐れむべき者たちの生は役に立つか? 何に? 「貴い」者たちを犠牲にして群衆にこころを砕くことは、樹液の足りない若芽や卑しい草を世話するのと引き換えに、いっそう活気ある灌木を省みないことに似てはいないか?
人類は2つの種族 due razze に分けられるだろう。自らの意欲という純粋なエネルギーによって自ら高められる優等の種族にはalla superioreすべてが許されるだろう。劣等の種族にはalla inferiore 何も許されはしないか、もしくは許されるとしてもほんのわずかなことだけだろう。幸福の最大総和は特権者たちのためにある。その者たちは、彼ら個人の貴さによって、あらゆる特権を享けるのだ。
しかし真に「貴い」者は、ニーチェによれば、古い貴族の家の弱り切った相続人には似ても似つかない。「貴い」者の本質は、内なる至高性にある。貴い者は、自由な人間であって、万物のなかでも最も強く、個性こそが価値においてあらゆる付帯的属性に勝ると確信している。厳然たる力であり、明白な自由であり、尊厳を最高位に置き、欺かれえない目で自らを見つめるのだ。この貴族的意識のなかにこそ、新しい貴族の主要な証しがある。
フリードリヒ・ニーチェの教理は本質的にいって以上のとおりである。『ツァラトゥストラはかく語りき』で彼はこのように言う。「わが友人たちよ、彼は来た。あなたがたが狂人や嘘つきどもから学んだ古い言葉にもはや耳を貸さないようにするため、つまり正義による報い、償い、罰、裁きといった言葉からあなたがたを遠ざけるため、私的でない行動は善であるとあなたがたにもはや言わせないためだ。」
彼は要するに革命家なのである、しかも貴族的な革命家なのである。彼にとっては、すべては生に関するこの定義に由来する。「生きることは力である。」
この暴力的な哲学者の教理の真髄を理解しなければならなかったのは、《パルジファル》の作者に対する彼の敵意の真髄を理解するためだ。
リヒャルト・ワーグナーの音楽は「個の音楽ではなく、没個性的であって、新ヘーゲル主義的であり、群れの音楽である」。いま引用したのは1857年にアンリ・フレデリック・アミエルが《タンホイザー》のある公演に関して書いた言葉であり、われわれの議論にこそもっともよく当てはまる。リヒャルト・ワーグナーの音楽は、貴族的な、英雄的な、主体的な芸術に対立する社会民主主義的音楽である。それは、「私l'Io」の放棄を、そして打ち負かされたあらゆる力の解放を表現している。それは、人間個性の真価を是認せずにそれを自然ないし社会の総体のなかへと埋没させる時代の諸傾向に答えているのだ。
だからニーチェは――前述のように、上昇する生という理想を抱く彼は――リヒャルト・ワーグナーのなかに頽廃する芸術家の典型例を見出し、それと闘っている。この哲学者はその芸術家の中に、あらゆる弱さとあらゆる疾病を認識し、激しく憎悪している。
この哲学者は言う。「近代精神の迷宮について、よりよい道案内は、より説得力ある精神の通は、どこにいるだろうか? 近代なるものは、リヒャルト・ワーグナーを介して、自らのもっとも内なる言葉を語るのだ。その言葉はあらゆる慎みをとりはらっており、善悪を包み隠さない。さらにひとは、この芸術家にしたがって明白な善悪観を得れば、近代的精神とは何かほとんど理解できる。当世の作曲家が『私はワーグナーを憎んでいるが他の音楽には耐えられない』と言うのはなぜか、私にはまったくよくわかる。またあの哲学者が『ワーグナーは近代を背負っている。ワグネリアンになることから始めるべきであり、その他にすべきことはない』と言うのも私にはまったくよくわかる。」
このようにニーチェは論じ始めた。危険な伝染病から逃れるように、彼はその感化から自らを解き放ったのだ。
読者にとっては、風変りなドイツの哲学者がトリノ発の手紙のなかでリヒャルト・ワーグナーについて表した評価を理解することは、無益でも不快でもないだろう。
『ラ・トリブーナ』1893年7月23日号
II
リヒャルト・ワーグナーの気質は、この時代から好奇心あふれる心理学者たちへ提供される数々の例のなかでも、もっとも複雑であり、もっとも落ち着きなく、もっとも変わりやすく、もっとも矛盾した部類に属する。ことによるとこう言ってもよいかもしれない。《ジークフリート》や《パルジファル》の詩人は、近代的精神を苦しめている気がかり、不安、渇望、嫌悪、無数の不治の難病といったもので、知らぬものはひとつもない、と。彼の内なる生すべてにおいて、長きにわたって、熱狂、落胆、放棄、反発が、いつも異なる真逆の動機によって生み出されてはめまぐるしく次々とあらわれている。彼の世界観は決して確固たる決定的なものになったことがなく、自らの知的発展とともに、また外部のできごとの展開とともに、しだいに変容していく。そして、彼の宇宙観が変わると同時に、芸術作品を練り上げる彼の方法にも変化が生じる。
4部作の計画は最初の草稿から最終完成形まで度重なる変更を経ている。またしばしば詩は中断され、長い間放っておかれて、それから最初のころとはずいぶん異なる精神と知性の状態で再開されている。《ジークフリート》についていえば、リヒャルト・ワーグナーは、その準備段階においては楽観主義哲学者〔ニーチェ〕とフォイエルバッハの熱心な信奉者であったけれども、その完成時においては聖金曜日の死の沈黙のなかで「かつてゴルゴダの丘の十字架から発され今日われわれ自身の胸から湧き上がるあの深い憐れみの嘆息」を聞いたのだった。
残念ながら、巨匠が自らの生涯のなかでも最も苦しく最も困難な時期に経験したさまざまな「精神状態」を幅広く集めてここに紹介することはできない。もちろん、作り手がいかなる影響のもとで黄金の時代という自らの理想郷からパルジファルの神秘的カタルシスへ至ったか追究することは、作品全体の理解に役立たないこともないかもしれない。
ここでは、その精神状態についていくらか概括的に触れておけば十分だろう。目的は、バイロイトの神に対してフリードリヒ・ニーチェから表明された憎悪の諸動機がほんとうのところどんなものか明らかにすることにある。
これは奇妙な比較である。というのも、リヒャルト・ワーグナーは、新しい芸術形式を企て始めたころ、キリスト教文化に対して悪感情そのものを抱いていたのであって、しかもその感情は、『ツァラトゥストラはかく語りき』の哲学者による論争の書に活気を与えているあの激情とほとんど同じであったからだ。『芸術と革命』と題された好戦的著作のなかで、ワーグナーは次のことを明かそうとしていた。すなわち、社会は真の芸術をこれまで生みださなかっただけではなく、そもそも生みだしえないのであって、またそこには創造者はおらず職人だけがいる、というのだった。そして、古代ローマ帝国の頽落について彼はこう述べていた。「どんな一般的国家であれ、その国家そのものを代表するのにふさわしい表現を必ず創造しなければならない。古代ローマ帝国もまた、その固有の表現を見出さなければならなかった。しかしこの表現は芸術ではありえなかった、というのも芸術とは、人間が自己と世界に向き合って体験する生の歓びや十全な充足によって開きかける至高の花に他ならないからだ。ここでは、それとは反対に、卑しい存在の嫌悪や自己と世界の侮蔑を明らかに示さなければならなかった。よって見出されたのがキリスト教文化である。」そして、キリスト教の理念を傲然とこきおろした後で、ワーグナーはこう結論付けていた。「偽善は、キリスト教の興隆から今日にいたるまで、キリスト教社会の支配的性格である。」
さらに世界は愛以外の方法では救われえないと彼は信じていた。そして当時もこう書いていた。「救済の愛はキリスト教の教える抽象的愛ではなく、歪められていない人間的本性のもっとも力強い顕示である。愛は、官能的生の喜びの中に自らの源泉を持ち、性器の接合だけではなく、子孫、兄弟姉妹、友人たち、ついには全人類に及ぶのだ。」
こう述べたとき、愛とは生の肯定でなければならないと彼は考えていた。彼は、上昇する生、力、健康、いっぱいの喜びを熱望していたのだ。
1851年秋、スイスの湖畔にて、彼は、自らの《ジークフリート》のために強靱かつ健康な音楽を作曲したいと欲し、衛生的生活と栄養のある食を通じて身体の健康を獲得しようと懸命につとめていた。もっぱら滋養豊富な肉だけを食べていた。コーヒーもビールも飲まなかった。身体を洗うのにきわめて頻繁に氷水を用いた。度を超していた。彼の求めていたものとは対極の結果に至る危険を冒していた。彼は書いていた。「真に健康な音楽を書くためには、まず私が自らの身体を健康にしなければならない。私自身を《ジークフリート》作曲に適した状態にするため十全な健康を獲得することは、だから私にとっては愉快なくらい荘厳なことだ」
この悪気のない鉱泉治療の効果は、せいぜいその気を持たせる程度であって、そのうえ短かった。その後の状況は芳しくなく、また特定の知的かつ道徳的影響もあって、彼は、この文章では深い分析も簡潔な説明もできないけれどもともかく心のうつろいを通じて、幸福感を一切失った。そして、悲しみに曇った眼をじっと凝らして生を見つめ、形而上の救済に関する新しい理想に傾倒しはじめた。
彼は、かつては性善説にしたがって無政府状態 l'anarchia を創設したがっていた。彼は、かつては芸術のなかで共産主義の理論 la teoria del comunismo を支持していた。そんな彼が、いまや、人を食と繁殖のみに専心する存在と見なす性悪説を認め、美的享楽の源である純粋な観想はかなりまれな並外れた頭脳の持ち主の特権であると主張するのである。愛とはただ永続を渇望するあのおそるべき生存の意欲のもっとも力強い現れに他ならないことを彼は認め主張する。そして、アルトゥール・ショーペンハウアーの教えに徹頭徹尾したがって、救済は完全な禁欲のなかにあると確信するに至る。彼はリストに宛ててこう書いている。「いまでは私は就寝の助けになる鎮静剤を持っている。それは激しく深い死の欲望だ。十全な無意識、あらゆる夢の霧散、絶対的寂滅。これこそ最終的な解放なのだ!」
彼の感受性は日に日に研ぎすまされていき、いっそう病的になっていく。彼はすべてに苦しむ。彼は、もっとも激しい葛藤のなかへいつも自らを引き入れるあの「おそるべき生存の意欲」に対して憤慨する。禁欲! 禁欲! 彼にとってその他に慰めはない。
そして禁欲の理念に根ざした詩篇を着想している。仏教的主題によるその詩篇は《パルジファル》の生まれたばかりの形と見なしてよい。
やはりリストに宛てて書かれた手紙の1通のなかで、彼は、ダンテの主題に基づくリストの交響詩に関して、こう述べている。「たいへん喜ばしい思いで、私はアリギエーリに付きしたがって地獄と煉獄を通っていった。聖なる瞑想に満ちて、詩人とともに次第に少しずつ高みへ上っていき、次々に自らの情熱を殺していき、飼いならしがたい生存本能と実に勇敢に戦った。ついには炎にぎりぎりまで近寄って、私は生きる意欲を棄て去り、私の個性なるものを全面的に放棄するため炎のなかへ飛び込み、ベアトリーチェのまなざしに身を捧げたのだ。」
しかし、劇に生命を与えるためには活発な原理が必要であるから、彼は禁欲の英雄を憐れみの英雄に変えている。彼はいまや新たな感情に満たされたため、ヴェネツィアからリストに宛ててこう書いている。「私自身の数々の痛みが、この痛ましい世界のための憐れみに代わったのだ!」そのうえ彼は、パルジファルのように、憐れみを介して自らを浄め、自らを癒したいという意欲を示している。
この時点で、読者は、フリードリヒ・ニーチェの教えの本質がいかなるものであったか、またかの哲学者が憐れみをどのように定義しているか思い出せば、彼のとげとげしい敵意の諸動機は美的性質というよりはむしろ倫理的性質のものであるということを難なく理解する。また同時にわかることがある。批判者が、あの並外れた創作者の重要性を減じようとしているということだ。そのなかで、彼は、私たちにとってはすばらしい価値を持つ条件が芸術作品のなかではどれほど卑しく許しがたいかということを示している。その条件とはすなわち近代性 modernità である。
ニーチェは正当にもこう主張する。「リヒャルト・ワーグナー」は「近代性を負っている。」そして、リヒャルト・ワーグナーはまさしく近代性を負っているからこそ嫌悪すべきものであるということを、彼は立証しようとするのだ。
前提としては、彼はこの自らの嫌悪において論理的である。彼の理屈は簡単だ。「哲学者の、自分自身に対する究極の要求とは何か? それは時代の外に身を置くことによって自分の時代に打ち勝つことだ。では誰に向かって彼はもっとも厳しい戦いを仕掛けなければならないか? 彼が時代の子と正しく見なすところの人物にだ。さて、確かに、私はリヒャルト・ワーグナーと同様にこの頽廃の時代の子だ。しかし、違いがある。私はそのことを自覚し、自らを守っている。私のなかの哲学者が、私の過ぎ去る危難に抵抗するのだ」
そしてニーチェは実際にこう告白する。きっとワグネリズムのなかにこれほど危うく浸った者はおらず、また自らを勝利者と感じつつこれほど大きな喜びを味わった者もいない、と。
ニーチェのなかで起きている精神的現象は、われわれが先にリヒャルト・ワーグナーのなかに見たものに似ているが、真逆である。ワーグナーは、救い、喜び、若さまで、上昇する生の諸力への渇望から、逆の諸力へと傾いている。すなわち否定的道徳へ、慎みの福音へ、諦念へとである。ニーチェは、この忌むべき迷信 foeda sperstitio から肯定的道徳へ向いて、力の感覚 sentimento della potenza を生の原理とし、あらゆる否定性に対して「私 l'Io」を堂々と称揚するのだ。
このように哲学者は時代の外に自らの身を置き、他方で創作者は自らの時代の中へ入っている。しかし前者は、生を称賛しながらも、もっぱら内省の領土のなかをさまよう。他方は、芸術作品の具体的形式のなかで自らの幻想を実現するのだった。
『ラ・トリブーナ』1893年8月3日号
III
リヒャルト・ワーグナーに対するフリードリヒ・ニーチェの痛罵は、つまるところ頽廃に対する痛罵と見なしてよい。というのも、彼にとってはワグネリズムと頽廃主義は同じひとつのことだからだ。
ツァラトゥストラの眼にとっては(計り知れないほど遠くから人類の現象を見ているこの眼にとっては)、万事が悪く進んでおり、万物は失われゆく。病気の根は深い。そしてリヒャルト・ワーグナーは頽廃を引き起こしているこの時代最大の人物である。
諧謔、嘲笑、皮肉が、しばしば非常にいかがわしい美的趣味もしくは行き過ぎのゲルマン主義的趣向に対して、かの80ページほどある中傷文書のいっぱいに、間を置かずずらずらと並んでいる。
「ワーグナーのオペラは贖罪のオペラである。彼はいつも救われなければならない人物を手元に置いている。つまり貴い子女だ。[……]どれほど豊かに、彼はこのライトモティーフを増やしていることか! なんと深く、尊い見解であるか! ワーグナー以外の誰が私たちに次のような物語を示してくれようか。純真な存在が、最高の能力を発揮して、勝ちあるひとりの罪人を救済する物語(《タンホイザー》)。あるいは、さまようユダヤ人が、妻をめとり救いを見いだして安住の地を得る物語(《さまよえるオランダ人》)。あるいは、意地の悪い老女が、貞節な少年たちに救われて満ち足りる物語(《パルジファル》のクンドリ)。あるいは、愛らしい娘が、ひとりの騎士に救済されることを意識して幸福を感じる物語。しかもその騎士はワグネリアンなのだ(《マイスタージンガー》)。同じように既婚の女性たちがひとりの騎士に救われるのを見たがる物語(《トリスタンとイゾルデ》)。あるいは、『古き神』が、あらゆる仕方で貶められた後に、道徳に敵対する自由な思索家によって救われる物語(《ニーベルングの指輪》)。」――万事この調子である。
ワーグナーが楽観論者から悲観論者へ変容したため、前回の記事ですでに記したように、ニーチェは彼を激しく嘲弄するのだ。頽廃の哲学者と頽廃の芸術家の結婚は、ニーチェには道化芝居だと思われるのだ。
「ブリュンヒルデは、最初の考えでは、解き放たれた愛の栄光に包まれて、歌をひとつ歌って、私たちにいとまごいするはずだった。万事これでうまくいく Tout ira bien という空想的社会主義によって世界を満足させてからだ。」だがいまや彼女は別にしなければならないことがある。彼女はショーペンハウアーを学ばなくてはならない。『意志と表象としての世界』第4巻を韻文で表現しなければならないのだ。
この1節のなかにはいくらか真実がある。《指輪》第1草稿は、来るべき幸福への賛歌によって終わっていた。「財産も、黄金も、神々しい輝きも、君主の荘厳な力も、悲しい約束の魅惑的な絆も、偽善じみた慣習に発する厳しい法も、幸福をもたらしえない。喜びと苦しみのなかの幸福は、もっぱら愛から生じるのだ。」この賛歌に、ショーペンハウアー的賛歌が取って代わり、さらに後にはこれも除去されるのだった。
「リヒャルト・ワーグナーは本当にひとりの人間なのだろうか?」とニーチェは問う。「あるいはむしろひとつの病なのではないか? 彼は触れるものすべてを病にする。彼は音楽を病ませたのだ……」
彼はこの調子で続ける。「ワーグナーの芸術は病んでいる。彼が舞台上に持ち込んだ諸問題(純粋なヒステリーの諸問題)、彼の痙攣症的気質、彼のひりつく感受性、いっそう強い味わいを要求していった彼の美的趣味、彼が原理にまでしてしまった安定の欠如、生理学的症例の典型として見なされる彼の英雄的男女の選択(病人の展示回廊!)。これらがすべて集まって、明白な病の風景を作っている。
ワーグナーはひとりの神経症患者である。おそらく今日もっともよく知られていること、あるいは少なくとももっともよく研究されていることは、衰退の多面的な性質である。われわれの医者、われわれの生理学者たちは、ワーグナーのなかにこそもっとも顕著なケースを見いだす。いまやまさしくリヒャルト・ワーグナーは抜きんでた世界的芸術家であり、近代のカリオストロ伯である。というのは、この内部の器官の病、この老衰、この神経組織の過敏症ほどに近代的なものはないからだ。彼の芸術のなかには、今日世界にとっていっそう必要である3つの要素が――神経の衰弱した者と疲労困憊の者にとって最高に効果的である3つの刺激が――もっとも魅惑的な仕方で混合されている。すなわち、獣性、技巧、純真である……」
そして哲学者は、音楽家が聴衆に影響を及ぼす諸手段を、彼なりに検証したあと、次のように断罪する。「音楽の創造者は今日では俳優になっていて、彼の芸術はますますいっそう嘘をつく芸術へ変わっている。」
もちろんリヒャルト・ワーグナーは比類なき俳優であり、最高の無言劇の役者であって、ドイツ人たちがかつて得たことのないほどのもっとも驚くべき演劇の天才である。卓越した舞台人なのである。
だからニーチェにとって《パルジファル》の著者は音楽の創造者ではない。彼によればその証拠がここにある。「ワーグナーは規則の総体を破壊し、あらゆる様式を除去したのであり、そうすることで音楽を演劇的雄弁法の一種に貶め、いっそう壮大な無言劇の、心理的暗示の表現手段にしてしまった。」
ここでニーチェは次のことを認めている。すなわち、ワーグナーは、音楽の表現力を限りなく増したという点で、第1級の創造者および革新者と見なされるのは当然である、ということだ。しかしその考えは、次の仮説よりも下位に置かれている。すなわち、彼の音楽はしばしば音楽になり得ておらず、むしろひとつの言語表現に、劇作法のしもべになってしまっている、というのだ。「ワーグナーの音楽を、演劇の観点という保護壁の外へ出してみよ」と彼は言う。「そうすれば単純に劣悪な音楽が手元に残る。これまで作曲されたこともなかった最悪の音楽である。」
ここに粗悪な過ちが、さもなければ根拠なき不正がある。私にとって、そして私の仲間たちにとって、リヒャルト・ワーグナーの優越はまさしくここにあるのだ。彼の音楽は、大部分できわめて美しく、また手の込んだ演劇的技巧や重ねられた意味作用から独立して、優れた純粋な芸術的価値を持っている。要するに、自発的かつ強力な創造者は、幸運なことに、しばしば、舌の回らぬ理論家や舞台の雄弁家を圧倒するに至るものだ。そして私の思うに、バイロイト劇場では、音楽の趣きがいっそう深まったときには、劇の筋は管弦楽団のように覆い隠されてわかりにくくなり、あいまいにしか見えなくなって、ほとんど幻想の彼方に後退するので、そうして無欠の音楽的感覚が聞き手の神経に対してほぼ絶対的な支配力を誇るようになるだろう。
ニーチェは、リヒャルト・ワーグナーの芝居がかった趣味についてこだわっている。そしてたびたび繰り返し次のように述べている。すなわち、4部作の劇作家は音楽史には属していないのであって、ただもっぱら音楽における芝居がかった趣味の出現をこの歴史のなかで表現しているのだ、という。
彼は、激しい怒りを伴って、自らが演劇専制 Teatrocrazia と呼ぶところのものに対して飛びかかっていく。演劇専制とは、事実としても権利としても演劇が諸芸術のうちもっとも優れているとする愚かな信仰のことだ。ニーチェは叫ぶ。「ワグネリアンたちに向かって百回は繰り返し言ってやらなければならない。演劇とは何であるか。演劇とは、芸術一般の下位にあるものに他ならない。副次的なものであり、ふつう大衆に用いられる粗悪なものである[……]。演劇は、美的趣味に関する民衆崇拝 Demolatria の1形態であり、民衆蜂起であり、善良な美的趣味に対する大衆の反抗なのである[……]。しかもリヒャルト・ワーグナーは演劇について何も変えなかったし、何も改良しなかった。」
そしてついには、不作法な熟慮の哲学者は、「古きガラガラヘビに」魅了されるがままの者たちに対して、とりわけ盲従する足長のゲルマン人たちに対して、自らの怒りをすっかり吐き出しては、次の3点を要求して論を結んでいる。
I. 演劇はもはや諸芸術の主たらんとしてはならない。
II. 道化役者はもはや純粋なる人々を堕落させてはならない。
III. 音楽はもはや嘘をつく芸術となってはならない。
読者にはおわかりのように、ここで論じているのはワーグナーという症例だけではなく、ニーチェという症例でもある。この怒りに満ちた批判文のなかには何か狂気じみたものがある。すなわち、諸理念が次々に整理されないまま現れる状態のなかに、また各文の文法的不統一のなかに、罵詈雑言の激しい怒りのなかにである。しかし、それでもなお、きわめて頻繁に、真実と勇気が閃き輝いているのである。そして、確かに、頽廃の主要な諸特徴の一部が、かなり精確に、そこに説明されているのだ。
だが、どうしてかのツァラトゥストラは、離れているのではなく、頽廃の創造者を静かに厳しく精査し、そのひとを実に複雑に構成しながら集まっている無数の要素をそれぞれ識別することに没頭し、これほどの怒りにとりつかれながら「かのひとには責任の負えない腐敗」についてかくも辛辣に彼を攻撃しては彼をとがめるのだろうか?
この種の非難、叱責、皮肉は、今となってはまったくむなしく、とくにひとりの哲学者にはふさわしくない。たとえその哲学者が「自らの時代の外に身を置いている」としてもだ。音楽家は、画家と同じように、小説家と同じように、詩人と同じように、私たちの諸感覚を育成し洗練する他のすべての芸術家たちと同じように、無責任な現象に他ならない。芸術作品は、その時代に現れる精神と諸習慣の一般的条件に決定的に左右される。現実の生の諸事実と、その諸事実の影響下で芸術によって生産される虚構とのあいだには、なくてはならないつながりや、一定の符合がある。ある特定の芸術形式は、ある特定の道徳的気質のなかでしか生まれ得ない。イポリット・テーヌが晩年の書物のなかで見事に論証したところによれば、芸術は、ある時代、ある地域において、議論の余地なく必然的に、異なる支配的性格を帯び、どちらかというとあるひとつの方向に発展していくのである。
時代は特有の印をあらゆる創造者に刻みつけている。公共精神の圧力に抵抗することはできない。諸習慣の総体的なありようは、つねに諸々の芸術作品の外形を定め、それに適するものだけを受け入れ、芸術作品の発展の諸段階で障害となるものや攻撃するものを排除する。
さて、私たちの時代における音楽の並外れた発展は、公共精神の何らかの特殊条件によって進められており、何らかの要請に、何らかの性向に、何らかの特殊な感情に一致している。
今日、近代の憂鬱の深淵に生まれる諸々の夢、定まらない思念、限りない欲望、原因のない不安、慰めようのない絶望、あらゆるもっとも暗くもっとも苦悩をかきたてる動揺の数々を表現することは、もっぱら音楽だけに委ねられている。それらはみな、私たちが、〔仏の作家セナンクールの〕オーベルマンや、〔仏の作家シャトーブリアンの〕ルネや、ジョスリン、ゲラン、アミエルから受け継いだものであり、私たちの後から来る人々に受け渡すことになるものだ。
リヒャルト・ワーグナーは、そうした彼の周りに散在する精神性や観念性すべてを彼の作品のなかに結集したばかりでなく、私たちの観念的要求を推し量って、私たちの生の内奥のもっとも秘められた部分を私たち自身に見せつけさえした。私たちの各々は、牧人によって奏でられた古い旋律を聴くトリスタンのように、偉大な音楽の神秘的な力によって激しい苦悩のあらわれを経験したのであり、そのなかでこそ自分自身の魂の本質と運命 Destino の恐るべき秘密を不意に捕らえると信じたのだ。
読者は《トリスタンとイゾルデ》第3幕を覚えているだろうか。横たわる騎士が牧人のザンポーニャの音を聴くあの場面だ。
「古い嘆きは何を語る?」トリスタンはため息をつく。「私はどこにいるのだ?」
牧人は、時間を越えて父祖たちから彼へ受け継がれた不滅の旋律を、か細い笛で奏でている。そして臆することなく自らの深い忘我状態のなかにいる。
「古く重々しい旋律よ、おまえの悲しげな音色とともに」とトリスタンは言う、「おまえは黄昏の風に乗って、気遣わしげに私のところまでやってきた、遙か遠いむかし父の死が少年に告げられたときのことだ。
灰の暁のなかで、いっそう気遣わしげに、おまえは私を呼んだものだった、息子が母親の運命を知ったときのことだ。
いつか運命は私に問いかけた、いま私にふたたび問いかける……
いかなる運命のために私は生まれたのか? いかなるさだめのために? 古い旋律が私に繰り返す。欲望し、死ぬためだ! 欲望によって死ぬためだ!」
牧人は無心に自らの笛を吹いては吹く。大気は変わるところなく、調べはずっと同じままだ。奏でるのはもはや存在しないものの調べ、失われた遙かなものの調べだ。
「われに答えよ、古き友よ」と牧人はトリスタンに付きそうクルヴェナールに言う、「われらの主は何を抱えておられる?」
クルヴェナールはこう答える。「関わるな[……]。おまえには決してわかるまい。」
そしてふたたびトリスタン、あの恭順な調べが彼の魂にすべてを明らかにする。
「おれが住処としていたところでは(それがどこかはおまえには言えないが)、私は太陽の光を見なかった、国も、民もだ。私が見たものは何か、おまえには言えない[……]。それはかつて私のいたあそこであり、私の永遠に帰るところだ[……]天地の夜の広大な帝国のなかだ[……]。あそこでは、私たちに知らされていることはたったひとつしかない。神々しい、永遠なる、原初の忘却だ!」
『ラ・トリブーナ』1893年8月9日号