原典:Giosuè Carducci. Poesie. A cura di William Spaggiari. Milano: Feltrinell, 2007: 194-198.
訳者名:原口昇平(連絡先
最終更新日:2014年 1月 9日  ※引用の際 典拠、訳者名、URL、最終更新日を必ず明記


Giosuè Carducci(1835-1907)
da Nuove Odi barbare, 1882.

Sogno d’estate  (1880)

Tra le battagllie, Omèro, nel carme tuo sempre sonanti
la calda ora mi vinse: chinommisi il capo tra ’l sonno
in riva di Scamandro, ma il cor mi fuggì su ’l Tirreno.
Sognai, placide cose de’ miei novelli anni sognai.
Non più libri: la stanza da ’l sole di luglio affocata,		5
rintronata da i carri rotolanti su ’l ciottolato
de la citta, slargossi: sorgeanmi intorno i miei colli,
cari selvaggi colli che il giovane april rifioria.
Scendeva per la pioggia con mormorii freschi
pur divenendo rio: su ’l rio passeggiava mia madre		10
florida ancor ne gli anni, traendosi un pargolo a mano
cui per le spalle bianche splendevano i riccioli d’oro.
Andava il fanciulletto con piccolo passo di gloria,
superbo de l’amore materno, percosso nel core
da quella festa immensa che l’alma natura intonava.		15
Però che le campane sonavano su da ’l castello
annunzïando Cristo tornante dimane a’ suoi cieli;
e su le cime e al piano, per l’aure, pe’ rami, per l’acque,
correa la melodia spiritale di primavera;
ed i pèschi ed i méli tutti eran fior’ bianchi e vermigli,		20
e fior’ gialli e turchini ridea tutta l’erba al di sotto,
ed il trifoglio rosso vestiva i declivii de’ prati,
e molli d’auree ginestre si paravano i colli,
e un’aura dolce movendo quei fiori e gli odori
veniva giù da ’l mare; nel mar quattro candide vele		25
andavano andavano cullandosi lente nel sole,
che mare e terra e cielo sfolgorante circonfondeva.
La giovine madre guardava beata nel sole.
Io guardava la madre, guardava pensoso il fratello,
questo che or giace lungi su ’l poggio d’Arno fiorito,		30
quella che dorme presso ne l’erma solenne Certosa;
pensoso e dubitoso s’ancora ei spirassero l’aure
o ritornasser pii del dolor mio da una plaga
ove tra note forme rivivono gli anni felici.
Passâr le care imagini, disparvero lievi co’l sonno.		35
Lauretta empieva intanto di gioia canora le stanze,
Bice china al telaio seguìa cheta l’opra de l’ago.
ジョズエ・カルドゥッチ(1835-1907)
『異人風オード集*1』第2集(1882)より

夏の夢

戦いのあいだ、ホメロスよ、あなたの永遠に鳴り響く詩歌*2のなかで
熱気を帯びた時間が私を打ち負かした。私の頭は眠りのなか
スカマンドロス川*3 の岸辺にて傾いでいたが、心はテュレニア*4へ逃げた。
夢見たのだ、私は自らの若かりしころの穏やかなものごとを夢見たのだ。
もはや書物ではなく、部屋が、七月の陽射しに焦がれ
街の敷石のうえを転がる車輪のたてる轟音に
つんざかれて*5、広がった。周りに私の丘々が立ち上がった、
若々しい四月がふたたび花をつける愛しい自然のままの丘々が。
水のほとばしりが瑞々しくささめきながら傾斜を下り
小川となっていった。小川を越えるのは私の母、
まだ花盛りの年ごろにして、幼子の手を引いていた
その白い両肩にかけて黄金の巻き毛が輝いていた。
男の児は小さくも母の愛のおかげで誇らしく
堂々とした足取りで歩き、自然の魂が響かせる
果てしないあの祝祭に心ふるわせていた。
なぜなら城の鐘という鐘が上方から鳴り響いて
救世主が明くる日に天へ戻っていくことを告げていたから*6、
また山頂に、平野に、風を伝って、枝々をかいくぐって、水を渡って
春の魂の旋律が駆け抜けていたから、
そして桃や林檎の木々がみな白と朱の花をつけ、
またその下の草むらはいたるところ黄と濃青の花をほころばせ、
ムラサキツメクサが牧場の斜面を覆い、
黄金のエニシダの揺らめきが丘々を飾り、
優しい風がその花々と香りを揺すりながら
海へと下ってきていたから、海では純白の帆が4枚
陽射しを浴びて揺れながらしだいにゆっくりと進んでいて、
その陽光がきらめく海と大地と空とを溶かし込んでいたから。
若き母は至福に満ちて陽光のなかを見つめていた。
私は母を見つめていた、考え込んで弟を見つめていた、
いまはるかに花咲くアルノの丘陵に横たわっている弟*7を
私の近くで寂しくも厳かな墓のなかに眠っている母*8を。
考え込んではいぶかしんでいたのだ、母と弟が息を吹き返したのかと
それとも私の苦悩を憐れんで帰ってきてくれたのかと、
ふたりが旧知の人々の姿に囲まれて幸福な歳月を繰り返し生きているその場所から。
愛おしい幻影は去り、眠りとともにたやすく消え去った。
ラウレッタ*9はそのあいだ歌いだしそうな歓喜で部屋を満たしていて、
ビーチェ*10は機に身を傾げて静かに針仕事を続けていた。




訳者による解説
この詩はエザーメトロ esametro という詩行で統一されている。これはギリシャ語・ラテン語詩の韻律法でいうヘクサメトロン(6歩格)をイタリア語で模倣しようとした結果生まれた詩行である。
どのような方法で模倣されたか? まずヘクサメトロンの構成について確認し、次にエザーメトロへの変換について説明しよう。
ギリシャ語・ラテン語詩の韻律法における長音節を − , 短音節を ∪ によって示すと、ヘクサメトロンは下のように表される。
∪ ∪, − ∪ ∪, − ∪ ∪, − ∪ ∪, − ∪ ∪, −
注意すべきこととして、この詩行では、第5詩脚を除いて、 − ∪ ∪ は − − に置き換えられうる。また長音節と強母音は、第1-4詩脚では一致せず第5-6詩脚(末尾5音節)で一致するという傾向を持っている。
このことを踏まえて、カルドゥッチは、主に、ヘクサメトロンの17音節のうち第1-4詩脚の任意の隣り合う短音節2つを長音節1つとして読み換えつつ、イタリア語詩の定型としての7音節詩行と9音節詩行を組み合わせることによってひとつのエザーメトロを構成した(音節数については若干の変形有り)。そして末尾5音節に必ず強弱弱強弱となるようにアクセントを配置したのだった。
この詩は、かように英雄詩体とも呼ばれるヘクサメトロンを模倣しているにも拘わらず、内容としてはきわめて個人的である。話者「私」はある夏にホメロスの詩歌を読んでいるうちに眠り込んでしまう。夢のなかではじめトロイア戦争の合戦地近辺にいたが、恐ろしくなってエトルリア人の住む地(イタリア)へ逃げる。すると次には、自らが少年に戻っており、復活祭の前日に母と弟とともにいる様子を夢に見る。きわめて晴れやかな光景に包まれながらも、話者「私」はふたりの死をすでに経験して知っているので、そのふたりがよみがえったかのようであることを喜びながらいぶかしんでいるうちに、ふと眠りから覚めてしまう。このように話者は、現実から乖離して夢の世界へ入り、先ほどまで読んでいたホメロスのヘクサメトロンを模倣する韻律にのせてその体験を語っていくのだが、実際のところ英雄詩体らしく長々と雄弁に英雄譚をぶちあげることはなく、束の間に自らの個人的な過去の幸福を再体験または再創造するにとどまり、ただちに現実に戻ってくる。こういうわけで、また後注 *1 に引用したカルドゥッチ自身の説明においても暗示されているように、エザーメトロは、カルドゥッチにとって過去の偉大な韻律の模倣というよりもむしろ、過去にも現在にも完全になじむことなく二重に疎外された主体を表現するのに適した韻律だったのかもしれない。
訳者による後注
*1 「このオード集を異人風と題したのはなぜか。それは、たとえ私が古代の抒情詩の韻律型でこれらを構成しようと強く欲したにせよ、これらはギリシャ人やローマ人の聴覚や審美眼にとっては異人風に響くだろうからであり、またたとえ私が現代の韻文やアクセントを用いて調和させたにせよ、これらはあいにく大部分のイタリア人たちにとってもまた異人風に聞こえるだろうからだ」 Giosuè Carducci, Odi barbare (Bologna: Zanichelli, 1877), p. 121.
*2 おそらくトロイア戦争をヘクサメトロンで歌い上げた『イーリアス』を指す。
*3 トロイア近郊を流れる川。神話によれば、あたりの平原はギリシャ軍とトロイア軍の合戦地となった。
*4 古代ギリシャ人はエトルリア人の住む地域(現在のイタリア半島)をこう呼んだ。
*5 カルドゥッチはボローニャで最も大きな通りに、すなわち現在の Strada maggiore に住んでいた。
*6 聖土曜日。使徒らがキリストを墓へ葬った日。
*7 カルドゥッチのすぐ下の弟ダンテは1857年11月4日に自殺した。
*8 カルドゥッチの母イルデゴンダ・チェッリは1870年2月3日にボローニャで死去し、付近の墓地に埋葬された。
*9 カルドゥッチの第2子ラウラのこと。1863年生まれ。執筆当時17歳。1887年9月、ジューリオ・ニャッカリーニと結婚。
*10 カルドゥッチの第1子ベアトリーチェのこと。1859年生まれ。執筆当時、カルロ・ベヴィアックァとの結婚を約2カ月後の1880年9月20日に控えていた。