花束 ― 渡邉建志さんに
河原で少年が空を見上げている。
少年 ルフランの花束。
つぶやいたあともしばらく見つめているが、突然あわてたようにこちらを向いて首をふる。
少年 いや、サフランちゃうねん。たしかフランス語やったと思うよ。発音て……鼻から抜くんちゃうの。……知らんよ、あんた大学行ってんねんろ。おれジュテームとクセジュとサバ? サバ! の受け答えしか知らんよ。ん、ともだちに教えてもろた。……知らん。いまどうしてんねんろなあ。
少年、空を見上げる。
少年 サバ?
返事はない。天高し。いわし雲。
少年 サバ雲って聞いたことあらへんな。別にええねんけど。(思い出したように)……まえな、雲の本読んでたらな、問答雲っていうのがあんねんな、そんなん出てきた。なんかな、向こうから来る雲と、こっちから行く雲と、すれちごうて、それが言葉交し合ってんのに似てるからなんやて。……あっちの空と、こっちの空が、話しあってんねん……空はひとつなんかちゃうんやって、そんときわかった……
すこしうつむく少年。
少年 さみしいやんか。みんなまちごうてたんや。どんだけ離れても同じ空の下って、よう言うけど、嘘やった。それ合言葉にして、勇気ふるいたたせて、別れてったひとたち、どんくらいいたやろ。
近くにあった石を蹴る。石はぼてぼて転がり、川に落ちて見えなくなる。
視線をそらし、また空を見上げる少年。
少年 サバ?
しばらくしてこちらに反応し、横を向いて、ためいきをつく。
少年 ……ううん、ちゃうねん、空のうえも、ちゃう国だらけやっちゅうこっちゃ。台風はくちげんか。ときどき戦争。あっちからこっちから、雲、飛び交って。そのあと覗く、なァんにもない空。黙ったままの青空……
また空を見上げる。やがて上を向いたまま、
少年 ……せやな、あるかも知れんな。どんなフレーズやろ。どんなメロディかな……知らん、わからんよ、やけど、空に歌があるんなら、誰か踊りだすやろなきっと。雨? そういや「雨に唄えば」って、あったな……せやせや、天気予報で、かかってた……
そのまま。
少年 サバ!
いわし雲。
少年 歌うとォてるんやったら、これたぶんルフランやわ。ほら、ずっとずっと、何匹も何匹も横に並んどる。繰り返し繰り返し……なあ、こわないんかな、なあ、 。……ううん、たとえばな、すきやって何回も繰り返すん、ほんまはこわいやん、 。なんかどんどん離れてく気ィする。あかん、あかんて思いながら、他に言葉見つからへんから、すきやねんすきやねんて、いうて、ほんで、言葉にできひんでもそのまま、おまえのことすきやねん、て、 。
いわし雲。
少年 こわないんかな……
いわし雲。
ふと眼をこちらへ向けて、笑いかける少年。
少年 こわないやろな。歌うとォてんねんもんなァ。
飛行機雲がのびていく。また空を見上げる少年。つぶやき。
少年 『虹のように空を引き裂いてその線の左右で暮らそう』(*)……
境界線をのばしていく飛行機。その先は光っていてよく見えない。
それは夕日を射るように飛んでいく。
こちらを向く少年。
少年 なあ、おれも思い出せへんねん。ん? うん、フランス語の。なんであいつあんな言葉教えてくれたんやろ。フランス行って、誰かに挨拶するとか思うてたんかなあ、おれが。
笑う。
夕色にそまったいわし雲のルフラン。まとめられる前の花束のような。
少年 Ça va?
少年は空を見上げている。
待っている。
いつまでもそうしている。
(*)『』内:松本圭二「詩集工都」より