I
ついに日付は満たされ
あとには白い砂ばかり残響しているのだとしても
あなたの手はページをめくりつづけた
LとRのあいだに消える足跡 何度も
表紙を始めるべき位置を決めかねながら
II
そこで身体は終わり
切り離された影だけが上を向いて歩く遠い場所
めがけて手を投げ出したおまえ
地平線のあいだで跳ぶ音楽 いつまでも
休符の書き込まれては消されてゆく冬のシーツ
III
やがて旋律がとぎれて
歌い終えた者たちは祈りの場所に沈みこんでいく
決して届かない指先 どこまでも
はるかな奈落を引き絞って叫びつづけても
嗄れ細った声を研いでなお刻みつけようとしても
IV
……/そして伴奏の手が不完全にしまわれた/それは
たどたどしい私の指がもつれたからではなく/あなたが
いつまでもうたの扉を開けなかったから/瞳の湖面を覗
くと夕闇に何者かの影が白い椅子の上で凍えていた/
「殺したいの」不意に壊れたあなたの扉/そこからこぼ
れだした光のなかに庭が滲み始めていた/引かれていく
集中線の夢/「殺したいの、あなたを」伴奏する者はも
ういなかった/立ち上がった影のやわらかく伸ばし始め
た手が揺れた/水面のうえで/波紋にふるえて/一滴の
殺意を瞳の底へのみこむように/
まどろみのなかで/焼け焦がれた白い魂はより白く/
どこまでも白く/ふるえながら白熱し墜落していった/
底の瞳のあなたへと/なぞっても/なぞっても/なお存
在を確かめられない喫水線をほどこうとして/けれど影
の指先はとどまり/白く凍えるままだった/どこまでも
/どこまでも/どこまで/
「ゆうべの帰り、あなたを殺したい、殺してやりたい、
そうつぶやきながら歩いた」青い肩を絞りながら/青い
頚椎を寄せ縮めながら/こぼれつづける庭園の影を目指
してひとり歩みを運んでいったあなたに引かれていく集
中線の夢/「でもだめだった。あなたの前に出ると抱き
しめられてしまう。逃げ出そうともがいても、あなたの
眼に映ったらもうだめなの」踊るようにとどまっている
声の影/けれど一度もこの手は破ったことがなかった/
あなたの水面を/
滲みすぎて光の褪せた庭園の緑/それもまた破ること
のできない影にすぎないのか/そして無言に凍えたまま
鍵盤を引き戻し/もう一度開始部を繰り返し始める/い
つまで/いつまで/いつまでも/ふたたびまどろみのな
かで/……
V
こぼれだした光のなかに庭が滲み始めていた
うたの扉を開けなかったというのに いつまでも
壊れながら白熱し墜落しつづける魂の見る
ひとり歩みを運ぶ影に引かれていく集中線の夢
そして瞬きは無言に凍えたままふたたび繰り返されて
VI
宛名なき手紙
日付なき日記
部屋なき窓 隔てることなく
言葉なき恋人
唇のないくちづけ
まぶたのない眠り
空のない夕焼 色づくことなく
壁のない画布
呼吸のないうた
土地のない果実 届くことなく
声のない叫び
死者なき都市 終わることなく
開始なきダ・カーポ
主題なき変奏 忘れられた
VII
白い
切れ込みを入れる直前の
画布としての
街
押し黙った一月の暗殺
VIII
あしあと消して逃げ去る
波打ち際を見ていると
言葉のない世界へ
墜ちてゆきそうで
すがった肩のほころび
あなたの瞳に映る
たましい白く焦がす
線香花火
(夏がほら飛沫のように砕ける
くらがりに溶けだすぼくたち
秋がほら打ち寄せてきている
くらがりにまたたくいのち)
IX
通行禁止の立て札を
たてたあとで
そのひとはどこを通り抜けて去っていったのだろう
影がどこまでも細長く落ちている
X
今日 戦場の空はよく晴れている と誰かが書いた
けれどここからは見えない
それでも空は晴れている と誰かが書いた
出入口が完全に崩れてしまった真っ暗な遺跡の
壁に数々の詩行を刻みつづけるひとびとの手