[訳者註:大手日刊紙『レプッブリカ』ジェノヴァ版、2008年6月24日掲載。同22日、ジェノヴァのベガート地区で起きた殺傷事件について発言している。]

 
 
サングイネーティ「だがここはゲットーではない」 

 かつてCIGE(ジェノヴァ土木業組合)の居住区に移り住むことを選んだ詩人へのインタヴュー。「私はここに30年住んでいる。日曜に起こった殺人事件はまさか予想もできなかった」
 
 風に強く育てられた最高のぶどう畑がまだあったころに彼はやってきた。そして今日もまだそこにいる。月の下や草原で隣人たちと開いた夏の晩餐会をめぐるノスタルジーや、自動車のなだれ込む道とともに。
 彼の「故郷」CIGEで、エドアルド・サングイネーティは実に28年間暮らしている。

――どんな事件も他日あなたの確信を揺らがせることはないのでしょうか。
 
「仮にトレントで殺人が起こったとしても、われわれの誰も、あの街はもはや回復不可能だと言おうなんて夢にも思わないでしょう。CIGEについても同じことが言えるんですよ。ヴィッティメ・ディ・ボローニャ広場での惨劇は、誰も予見し得ないけれども、どこでも起こりえたいくつものケースのひとつです。ある出来事にとって特有の、または有利な風潮などありません。また別の側面では、サークルの存在と活動こそが、静かな場所であることやひとびとの集まる地点であることの最善の証拠なのです。」
 
――証言によれば、このあたりはアメリカ極西部地方と同程度に、日常的に治安が悪いようですが。
 
「繰り返しておきますが、どこでも起こりえました。むしろ、関係者と接触したり、新聞を読んだり、ニュースを聴いたりした限りでは、CIGEの犯罪性に関わるエピソードは思い出せませんよ。それどころか、自動車や荷台トラックの火災、あるいはひったくりや高齢者を狙った犯罪といったことにかけては、なんならカステッレットやアルバロなどよりずっと裕福なよその地方のニュースでよく私の目に入ってくるようですよ。ここではそういった話は記憶にありません。」
 
――あなたはしばらく前から、リンネオ通りの横道であるこのベガート地区で暮らしておられますよね。変化もあったのでは。
 
「1980年には、私はマニンの上のカベッラ通りで暮らしていました。大学へ行くのに便利だということもありますが、いちばんは私の妻の関係する二つの団体があったからです。たくさんのことがありましたが、道は勾配が急なうえに自動車が歩道の上までをも走っていました。ですから子どもたちには感情のはけ口がありませんでした。唯一の緑地といえばアックアゾーラがありましたが、のちに混雑するようになりました。そのころわたしたちはここへ来ることに決めました。当時ひとはあまりおらず、最高のぶどう畑がありました。夜、ひとびとは隣人と草原で夕食をとっていたものです。あれは代えがたい楽しみでした。住民たちは自制していました、とくに自動車をですね。それと社会的な関係にはとてもたっぷり余裕がありました。確かに今日状況はすこし違っています。ひとは多くなりましたし、移動手段もさまざまなものになりました。私の妻はもう子どもではなく家族の代表です、それに私も年をとりましたからね。ともかく地域はいつもそれなりに安穏ですよ。殺人事件のあった場所のまさにすぐそばにある薬局や食料品店へ歩いていってもそう思いますね。」
 
――多くのひとがこの地域をディーガ(*1)と結びつけています。現実はひとつなのでしょうか、それとも二つの実態があるのでしょうか。
 
「二つの異なることが存在していると言いたいですね。私はなかでもディーガについては多くのことは言えそうにありませんが。私はその問題を深く体験していませんから、直接の情報を得られそうにありません。いずれにせよディーガはCIGEのあとにやってきました。確かに私にとって、あれら建造物の一部の老朽化を見越した今回の計画は気がかりです。多くの住民がそのあたりに自分の住みかを見出していました、そして今日引っ越しは、裕福なひとたちだけが心配もさしたる犠牲もなくできるような、お金のかかることです。[計画の]着手される前に、こうした核家族の住居問題の解決を望んでいます。」
 
――地理的ないし社会的に、他の地区の郊外にあるということは、治安の悪化や無教養な行いの増大を当然の結果としてもたらすかも知れないとはあなたはお考えにならないのですね。
 
「私はニュースを読み、テレビ番組を見て、甥姪を殺した老人たち、伯父や叔母を殴った甥や姪たち、両親を傷つけた子どもたちのことを聞いて知っています。暴力はいまやたくさんの家で起こっており、ヨーロッパ中で噴出しています。暴力の生まれているのは、都市や社会といった背景よりも、家族のなかにおいてなのです。平穏に生活するためにはある地域を避ければことたりるというならば、話は簡単なんでしょうけれどもね。」
 そんな界隈があったとしても――詩人は言った――そこはCIGEではない、と。


*1 ディーガ:「堤防」「防壁」の意。ジェノヴァ西部の丘の上に建てられた大きな共同集合住宅で、壁状になって横一列に並んでいることからそう呼ばれる。昨今治安の悪化が叫ばれ、再編計画が進んでいる。]





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