I

空をひとつに閉じたのは誰
影踏みに熱くなりすぎて
寒さを忘れた子どものために
時を歌いはじめるのは誰
 
海を泣き尽くしたのは誰
千に砕けた金の滴を
眼から飲む恋人のために
一日を涙に沈めるのは誰
 
幕を引き剥がしたのは誰
ひとびとを背後から包み
その水仙はあなただとささやくのは誰
 
水晶体のなかの幻と
別れるよう呼びかけるのは誰
振り返るといなくなるのは 誰



II

晴れやかな青空のみを背にして立たせると
その顔はやはり見えないが
それでも微笑んでいるような気がするだろう
ひとりぼっちで
 
懐かしい旋律が流れてくるのにまるで歌詞を思い出せないから
代わりにのどもとにこみあげるのは
かつてそのひとから吸い尽くしてしまったあの母音なのだろう
はちきれんばかりの
 
ああとぎれがちに残された足跡をたどりつづければいつか
打ち寄せる時にさらわれたかなしみを
うたわれていたはずのとおりにうたいなおせるだろうか
 
それともわたしもまた晴れやかな青空のみを背にして立てば
ふるい息をまあたらしく継げるだろうか
この顔が翳り見えなくなるとしても



III

わたしが母になれるなら
そのときこの乳房は どうか
どこの国のことばでも
発音できない母音のかたちをしてほしい
 
わたしが父になれるなら
そのときこの腕は どうか
驚かせたりちからづけたりする
どこからも見える感嘆符のかたちをしてほしい

この胸ははるかな未来のために息のつける読点になってほしい
わたしがこいびとになれるなら
果てない空色をした零のようにこの眼はひらいてほしい

わたしが子どもになれるなら そう
答えのない疑問符の反りで愛撫してほしいこの手は
もしも もしも わたしがわたしになれるなら



IV

このゆびさきでは
数えきれないものがあった
雨垂れに切り詰められていく
残りの時
 
このくちさきでは
発音しきれないものがあった
きみのはじめて名づけられてからいままでの
ありとあらゆる 呼びかた
 
夜を遮蔽するシーツの裏側で
ほどかれては結びなおされる星座
まぶたは見えなくなるためにあった
 
このつまさきでは
たどりきれないものがあった
誰かの帰ってくるかすかな足音があった



V

その かすかにひらきかけた球形の鏡を
あなたを あなたの瞳に映るものすべてから
見つめ返しつづけてきたひとりのひとが
夜明け前 ついに旅立った

その いきものをまろやかに抱く休息のくらがりを
そっと しつけ糸を抜くようにひとたび開いてからは
あなたの光は 地平線をほつれなく結んで
ひらいては結びなおす 終わりなき反復をはじめたのだ

ああ 脈うちながら折りたたまれていく無窮の渦の
皺のひとすじひとすじから立ち上がるあの去りし影に
泣哭しかけるあなたの喉よ

声なき声の かき消されては滅びながら求愛する鳥たちとともに
ああ 実を結ばぬ徒花の しかしそれでも水を吸引しようと伸ばす根のように
ああ 呼べ はじまりの鏡像を 問え 不朽というものの真の名を





最大の帝国を夢見たのはあなただ。あなたの閉じた夜の眼のなかでその地図が広がるごとに、誰にも把握しきれない都市が、卵核のように分裂を繰り返しながら増殖していったのだ。それゆえ当然のように叛乱も起こりつづけたが、それは帝国にとってはむしろ望ましいことだった。たとえ侵略に抵抗する地域が外部と手を結びながら決起したとしても、それはいつも鎮圧されるものであって、そのたびごとに繰り返し領土が拡大されていくからだ。

問題は、誰が、いつ、どこから、この幻の帝国に君臨し、どのような権力によって支配しているかということだった。それが明らかになれば、謀反人たちは体制を瓦解させるために攻略すべき目標と適切な戦略を導きだせるはずだが、いっぽうで鎮圧者たちもまた体制を保持するために死守すべき地点と適切な防衛策を同じように導きだせるはずだった。
 
だからこそ、誰もが知られざる帝王の秘密を探ろうとして、先を争いながら冒険へと赴いたのだ。ある者は領海深くへ潜り、その底でいつしか溺れ死んでしまった。その過程でさまざまな資源が発見されたが、そのうち半分は侵略のための、もう半分は抵抗のための新たなエネルギーとなっていった。またある者は心理の森に分け入り、その奥でいつしか狂気という怪物にとらわれてしまった。その過程で欲動をめぐるさまざまな知識が得られたが、そのうち半分は民の行動を制御するための、もう半分は民の反抗心を扇動するための、新たな手法に結びついていった。そして事態はますます深刻になり、誰もが焦燥をきわめていったのだ。探せ、見つけ出せ! いったい帝王はいつ、どこにいて、どのような力を働かせているのか? この帝国の夢を受胎させ増殖させているのは、いかなる父、いかなる母なのか?
 
その正体はついぞわたしにもわからないのだが、あなたでなかったことだけは確かだ。わたしがそうであるのと同じように、あなたもまた、帝国の民の夢を夢見る同じ帝国の民のひとりにすぎなかったのだから。最大の帝国を夢見たのは確かにあなただ。しかしそのあなたを夢見たのはわたしだった。隷従と解放を夢見たのはわたしだが、そのわたしを夢見たのはあなただったのだ。夢の夢、その夢のまた夢のなかで。





VI

頬杖をつきながら見ていた
塹壕のなかで兵士がスープ鍋のなかを覗いている
最後のひとかけらをすくうために杓子でその底をかくのを
わたしは頬杖をつきながら聞いていた
 
頬杖をつきながら見ていた
部屋のなかで病人が液晶画面をにらみつけている
最後の一行を書きつけるためにためらいがちにキーを叩くのを
わたしは頬杖をつきながら聞いていた
 
わたしは瞳を閉じた
暗闇のなかから恋人がこちらへ不思議そうに耳をそばだてている
薄明りのなかで子どもが安らかに寝息をたてて
 
瞳を閉じたまま見ているのだ
日差しのなかへ誰かの手がたどりつこうとしていっぱいに伸びていく
わたしは瞳を開き まっすぐに立ち上がる
 


VII

路線図から
ひとつひとつ果ての街を組み立てた
どこにも訪れたことはなかった
(どこでも見たことはあった)

解剖図から
ひとりひとり果てのひとを組みたてた
誰とも会ったことはなかった
(どこかで見たことはあった)

何度でも咲き直していく花々と
一度だけしか渡せない花束と
枯れた比喩が腐っていくだけの季節と

背く影から
目を背けるために振りかえれば エコー
(まだ両手をひろげている)



VIII

後手でドアを閉めると
この眼は
はるかな海へとつながってしまうのか
振り返るよりも速く
 
溶けた黄金の
炉のなかへと落ちていくのは鳥の影
ついておいで
波のうえを歩いておいでとすら言わずに
 
渡されるのは光の橋
誰が何を言っているのか少しも聴き取れないで
瞬きもしないうちに
 
すべてこぼれだしそうになるから
まぶたはただすぐに閉じられるためだけに
ある



IX

去るのではない 往くのだ
一日の終わり 振り返らずに子は
目を閉じたままどこまで走ってゆけるか
夢見ながら試しているのだ
 
眠るのではない 夢見るのだ
一年の終わり 翻らずに葉は
色褪せたままいつまで揺れていられるか
越えゆきながら試しているのだ
 
むしろ去り 眠るのは わたしの影
追いかけてくる無限の時に
すべてを託して闇のなかへ倒れ込むのは
 
別れるのではない 越えゆくのだ
くらがりのなか立つわたしはまだ
往きながら生きるばかりだ



0

「去りゆくときには すべてをあげよう
 わたしのものではなかった空を わたしの風として」
「たったひとりのあなたに 吹くものとして」
「わたしの持たなかった孤独を あなたにあげよう」
 
「生まれ来たあとでは すべてを奪おう
 あなたのものであったひとを わたしの父として」
「ひとりになれないあなたに 吸いつくものとして」
「あなたの抱えた孤独を あなたから奪おう」
 
「水面をまなざすあなたを 背後から包み」
「そこに映る影はあなただと 耳元でささやこう
 そののちあなたの見るものすべてから」
 
「わたしのまなざしがあなたに届くだろう
 去りゆくときには すべてを奪い」
「生まれ来たあとでは すべてをあげよう」