XLI
春が来て 横断歩道の白いところだけを踏んでいった 一歩でもはみ出たらひどい目に遭うといわれていた 途中に猫がいっぴき長々と横たわっていた 帰ってきたころにはもうどこか他の場所へ移動していた    
XLII
花瓶の水が空いた ツー・ツー・ツーと言った 両手は濡れていた 風呂場の電気のスイッチを つけたり消したりしていた    
XLIII
電話の声はよく聴き取れなかった 「はい」とだけ言って、切った 一緒に死んでくれとせがまれても マヨネーズ一本丸呑みできるかと訊かれても 見渡すかぎり青い青い空だった    
XLIV
名前のわからない鳥が一日中どこかで鳴いていた 図鑑を調べたら余白がところどころにあった 確かに痛んでいたのかもしれなかった なにもないところに補修用のテープを貼った 冷却水が漏れるので手をあてていた    
XLV
メグ  長女。穏やかな性格。 ジョー 次女。書き溜めた原稿をわたしによって焼かれる。     恋人もわたしに盗られる。 ベス  三女。からだが弱く伝染病にかかるがなんとか回復する。 わたし 四女。鼻が低いので洗濯ばさみをつけて眠る。 タイトル『仮面の下は仮面』 たまねぎの皮を剥くとたまねぎの皮がある。 上演後はそれぞれ別の家に帰る。 たまねぎを刻んで鍋に放り込む。 感情移入。 トントントン。リズミカルに。 原稿を焼く。 恋人を盗る。 「その役の人生を生きろ」 が口癖の 劇団内恋愛を禁止した演出家が真っ先に手を出す。 ベス 続編で病死。 舞台上が喪に服するなか ひとりの男が演出家と腕を組んで街へ出て行く。 その役の死を役者は死なない。 墓碑に 「ベスここに眠る」 と、わたしは涙を流しながら刻む。 あくまでリズミカルに。 姉妹の愛は永遠に記念される。 上演後はそれぞれ別の家に帰る。 鼻が低いので洗濯ばさみをつけて眠る。    
XLVI
「最後にわたしは  ひとみを閉じて砂丘を見つめた  あるいはもうずいぶん前から  圏外にいたのかも知れなかった  だがかなしいことはもうなかった  しばられた両手を前に突き出して  わたしには読めない砂の点字が流れるのを  ただ静かに指先で確かめていた  口をふさがれ わたしの声が奪われても  鳥たちは鳴きつづけていた  目隠しの向こうに青空はひろがっていた」    
XLVII
『風のあるうちに』(1994・30分)   『ひらひらと逝く夏の』(1997・90分) 『ソ・ラ・ミ・ミ』(2001・109分) 『通り過ぎようとして』(2002・20分)   『誰の顔も覚えていない』(2006・5分)    
XLVIII
風のない日だった 小石をひとつ置くと そこに 影があらわれたり消えたりした やがて子どもたちが あの子どもたちが帰ってきて 足をよく動かすので 影がたくさんあらわれたり消えたりした ずっと遠くへ向かって転がるのが聞こえると いっせいに追いかけていった 振り返らずに それから風が過ぎたのがわかった かなしいことはもうなかった    
XLIX
風 どこからか漂着して 本棚へ入りきらずに床へあふれだしている 郵便 どこにだって届きえたはずなのに いまここにひろがって また気象通報を犯す 「南の風  風力不明  宛名不明  差出人不明  スグ帰レ  スグ帰レ」 終わりもなくはじまりもない 耳をすませたまま 鳥はくちばしの先を不滅へと向けた      「了解       スグニ       帰ル」  
L
  夜明け前に海のにおいがして、遠くへ行った 途中で帰ってくると可動部が目立たないくらいに錆びていた 交換するより新しく買ったほうが安いのだけれど 近くでは売っていなかったのでしばらくこのままにすることにした あいかわらずそろりともせず水はどこかへ漏れ続けていた